ビジネス

2022.09.06

崎陽軒から「超シウマイ弁当」 キリンビールで修行した新社長の妙手

崎陽軒新社長 野並晃氏 撮影=曽川拓哉


──子ども時代の、崎陽軒のシウマイの思い出はありますか?

仕事で忙しい父が晩御飯の時間に間に合うように帰ってくることは少なく、父が仕事でしょっちゅう食べているであろう崎陽軒の商品を、母が家で出すということはなかったです。だから、家庭で崎陽軒のシウマイを食べる機会はほとんどありませんでした。

でも、旅行に出かけた時の駅弁だったり、野球を見に行った時とか、外出のシーンで崎陽軒のお弁当や商品に接する機会はありましたね。今でも、出張の時など、外出シーンで食べることがあります。

──そういう時って、社長ご自身でお金を払ってシウマイ弁当を買うんですか?

もちろんです。販売員の方に「おつかれさまです」と言いながら買っています(笑)。

「外の釜の飯を食ってこい」のキリンビール時代


──2004年から3年間、キリンビールにいらっしゃったそうですが、どんな仕事をされていたんでしょうか?

この3年間は、まず入社してから半年間、新入社員研修を受け、総合職として神戸エリアの営業をしていました。

その3年間は「経営」を学ぶというより純粋に「働くこと」、社会人としての学びでしたね。

──キリンビールで働くことは、会長やご自身のお考えもあったのでしょうか?

会長自身も他の会社での経験を積んでいましたし、やはり「外の釜の飯を食ってこい」というのは会長も言っていました。

崎陽軒社内では、僕が「同期」の関係を構築するのは難しいですが、当時のキリンの同期とは今でも会っています。崎陽軒で挙式をしてくれた同期もいました。そういった人間関係を作ったり、人に雇われる経験をさせてもらったり、貴重な3年間で、私の中では非常にありがたい時間でした。

──3年間、キリンビールで学んだことを、自社に戻ってアウトプットしていったと。

そうですね。でも外で学んできたことを会社の中で活かしたいと思っても、「キリンビールがこうやっていたから、キリンビールはこうでした」という言い方をしても伝わりません。会社に入ったら、会社の人間になりきらないといけない。社内では崎陽軒のアイデンティティを持って「崎陽軒はこうしよう」といった伝え方をしないと浸透していかない。「主語を崎陽軒に置き換えて」伝えていこう、ということは会長ともよく話しました。

──子どもの頃、好きだった食べ物は何ですか?

なんだろう...。普段は家で家庭料理を食べることが多かったので、外食は貴重でしたね。普段なかなか食べられないファストフード店に母親が連れていってくれる時は、テンションが上がりました。水泳教室に行く道にファストフード店があって、行き帰りに食べさせてもらったことなんかが思い出に残っていますね。

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あとは、祖父祖母が時々、外食に連れて行ってくれました。中でも、食べ放題は最高でしたね。

とにかく「同じものを食べ続ける」のがわりと好きで、家で手巻き寿司をやる時なんかも、ひたすら甘えびだけ食べ続けて、しっぽを山のように積み重ねたことがありました(笑)。
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文=岡田麻衣子 編集=石井節子 写真=曽川拓哉

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