ヘイズは子どもたちが波の仕組みを学びながら上下に跳ねることのできる波の機械を例に挙げながら「私はこれを『ステルス学習』と呼んでいます。子どもたちが遊ぶことができるからです」と述べた。
また、90歳に近づいたヘイズが、他のキャリアに生かし、宇宙を成長の場として活用し、他の人を助けているアポロ13号の乗組員仲間から吸収した学びについて尋ねた。
アポロ13号では、司令船パイロットのケン・マッティングリーが風疹にかかったため、打ち上げの数日前にクルーの交代をしたのは有名な話だ。交代で入ったジャック・スワイガートは、設計当時から「この宇宙船に精通していた」ので、クルーにうまく溶け込んだとヘイズは振り返る。スワイガートは、製造元のノースアメリカン・アビエーションと緊密に連携し、組立ライン上の宇宙船を飛行可能な状態にするために多くの時間を費やしたと、ヘイズは付け加えた。
「彼はとても外向的で、賢明な人でした。独身だったので、私たちはいつも、『何人のガールフレンドがいるのか』とからかったものです」とヘイズは回想した(ヘイズとラヴェルは、アポロ13号の当時、ともに結婚して子どもがいた)。またヘイズはスワイガートがいつでも(たとえタキシードを着ているときでも)白い靴下をはいていたことも思い出した。
これに対して交代したマッティングリーは「正反対の性格の持ち主だった」とヘイズはいう。「より内向的で、極めて勉強熱心な人でした」。そして、ミッションのコマンダーであるジム・ラヴェルは、ユーモアのセンスに溢れた、とても社交的な人物だった。
ヘイズは、ラヴェルの性格はこのミッションには理想的なものだったと語った。このミッションは、月の近くで大きな故障が発生し、クルーの安全が脅かされたことで有名だが、困難な状況下で帰還するのに数日を要したのである。「当然ながら、多くの懸念とプレッシャーがありました」とヘイズはいう。「名前は伏せますが、他のコマンダーたちなら、管制室に対してもっと厳しく当たっていたでしょう」
ラヴェルが唯一怒りをあらわにしたのは、ミッションの終盤になってからのことだった。サービスタンクの破裂でほとんどオフラインになってしまった司令モジュールの起動手順をNASAが修正し、スワイガートとヘイズに送るのに時間がかかっていたからだ。この起動は、ミッションの最後の行程である大気圏突入から着水に向けて、コマンドモジュールの準備を整えるために必要なものだった。