オファー先生の最初のレッスンに、僕は困惑させられた。ピアノが弾けず、指の動かし方も知らない僕に、先生は「弾いてごらん」と言った。僕が30秒くらいめちゃくちゃに弾いたあと、オファー先生はしばらく黙っていて、その後に家族や学校のことを聞かれた。ただ雑談をして、その日のレッスンは終わったんだ。
後からわかったことだが、先生は僕の好奇心を目覚めさせようとし、また僕の生い立ちと「創造力」を発揮するプロセスを結びつけようとしていたんだ。先生は「演奏者の人格は、その人物の奏でる音楽と同様に重要である」という考え方だった。
その後のレッスンでも、たくさんの問いをかけられた。「なぜこんなことをしているのか?」「何を言わなければならないのか?」「自分は何者なのか?」「自分の人生をどうしたいのか?」「音楽は僕に何を表現させてくれるのか?」「さまざまな疑問を音楽で表現するにはどうしたらいいのか?」「ピアノを演奏することで、僕の個人的なメッセージは何なのか?」などだ。
先生自身もとても創造的な人で、毎回レッスンの内容が異なっていたから、僕にとっては1回1回のレッスンが冒険のようなものだった。
哲学について1時間たっぷり話すこともあった。ピアノのレッスンなのに話をするだけで帰宅して「なぜあの話をしたんだろう?」と考えを巡らせていると、その前の週に僕と先生が話したことや、僕が先生に話したことへつながっていたことに気が付いたこともあった。そういうときは、誰かが布で隠した目的地を探させるゲームを楽しんでいるような感覚に陥った。後から気づいたのは、オファー先生は僕と一緒に即興演奏をしていたんだ、ということだ。
僕はそれから芸術学校の音楽科に入学したが、クラスメートと比べると、才能も、知性も、覚えの早さも、何ひとつ秀でたものはなかった。僕と違い、幼いころからピアノを始めて、信じられないほど華麗なテクニックをもつクラスメートもいた。彼らとの差は埋められない……といら立っていた僕に、オファー先生は「決まったスタイルでの弾き方を学ぶのではなく、学び方を学んだほうがいいと思わないかい?」と言った。学校の教え方とはまったく違った。
成長するにつれ、僕たちは独自の経験を重ね、さまざまな感覚、経験、感性に満たされた内的世界を構築している。自分の歴史やストーリーを読み解いていくと、繰り返し現れるパターンに気づく。「パターン認識」と「移し替え」、オファー先生が構築した斬新な教育法については本に詳しく書いたが、僕はクラスメートと異なる自分の音楽的特性を知ってから、練習が楽しくなり、ぐんぐん上達していったんだ。