プレゼンの神様、澤円「ITエンジニア視点のクルマ観」を語る

圓窓代表取締役の澤円氏


──次に乗られた車はなんですか?

セリカ GT-Rです。理由は(映画)『彼女が水着にきがえたら』にセリカGT-Rのコンバーチブルが、(映画)『私をスキーに連れてって』にセリカ GT-FOURが出ていたからです。僕はコンバーチブルではなく、赤のクーペでしたけど。

気に入って乗っていたのですが電気系統の故障が発生してしまい、次に買い換えたのがセリカのGT-FOURでした。当時はスキーが大好きだったんですけど、やっぱりスキーに行くなら四駆の方がいいなと思い、しかもGT-FOURは『私をスキーに連れてって』に出ていた車でしたから、それは雪道に強いだろうということで乗り換えたんです。

セリカは、トヨタが製造・販売していたスポーツカー。澤氏が所有していたセリカは4代目にあたり、1985年に発売が開始された。映画『私をスキーに連れてって』の劇中車として登場したことでヒットした。
セリカは、トヨタが製造・販売していたスポーツカー。澤氏が所有していたセリカは4代目にあたり、1985年に発売が開始された。映画『私をスキーに連れてって』の劇中車として登場したことでヒットした。

──ちなみに、そのころ憧れていた車はありますか?

いつかはドアが上に開く車に乗ってみたいと思っていました。やっぱりスーパーカー世代なので、ランボルギーニ カウンタックのような車は憧れでしたね。

──GT-FOURにはどれくらい乗られたのでしょうか?

2、3年でしょうか。エンジントラブルで手放してしまいました。

──3台連続でスポーツカーに乗られていたのですね。ちなみにその頃、キャリアとしてはどういう時期でしたか?

GT-FOURに乗っていた頃は、ちょうどIT子会社をやめてマイクロソフトに転職をする前後ですね。

──当時の心境を振り返ると、いかがでしたか?

いろいろと不安定だったと思います。30代になる頃は迷いが出るような時期でもあるし、世の中もインターネットの登場によって大きく動いていて、外資系IT企業がどんどん日本に入ってきた時代でしたから、選択肢が急に増えた状態だったんですね。なにを選んだらいいかよく分からず、しかし動いておいた方がいいという中で、ずっと慌てている感じ。それが27、8歳くらいの頃でした。

──当時、夢や目標はありましたか?

特になにもありませんでした(笑)。それもあって焦っていたのでしょうね。

圓窓代表取締役の澤円氏

弱みが強みに変わったマイクロソフト時代


──焦燥感を抱かれるなか、澤さんは1997年にマイクロソフトに転職されましたよね。入社後はいかがでしたか?

これまた、あのクラスの会社になると周囲はみんな優秀なんですよ。F1ドライバー集団の中に、免許取りたての初心者が入ったような状態だったので、最初は苦労しましたね。

──職種はエンジニアとして入社されたのでしょうか?

正確にはITコンサルタントという、エンジニアをバックグラウンドに持つ人がおこなう業務です。入社してから22年と11カ月、マイクロソフトに勤務しました。

──入社当時から、プレゼンテーションをする機会は多かったのですか?

マイクロソフトでは、エンジニアロールと呼ばれる社員は人前で話すことが絶対条件なんです。登壇して話すことは仕事として定義されていたので、必ずやらなければならない。お客さんの前で製品導入のメリットを言語化して伝える必要があり、そういう機会は徹底的に降ってくるので、それをこなしていかないと生き残れないんです。

圓窓代表取締役の澤円氏
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文=米永豪 写真=佐藤亮太

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