創設者である成瀬仁蔵は、著書である「女子教育」によってその必要性を訴え、広く政財界の支援を受けて、開校にまでこぎつけました。支援者のなかには、実業家の渋沢栄一や広岡浅子も名を連ねていました。
日本初の女子大学とは言っても、日本女子大学校は1948年の学制改革により新制大学として日本女子大学が発足する以前は、「専門学校」として認可されていました。つまり「女子大」は、厳密に言えば第二次大戦後に生まれたものなのです。
戦前の日本では女性が教育を受けることの意義は軽んじられ、女性は限られた人しか大学に入学できませんでした。そのため日本女子大学校のような女子の高等教育機関が設置されていました。
現在、日本には女子大は80校近くあり、全国の大学の約10%を占めています。
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