日本人の寿命が50年と言われたこの時代に、伊能忠敬はすでに54歳。彼はそれから17年かけて日本全国を約4万㎞も歩き、測量したと言われています。
伊能忠敬が手がけた「大日本沿海輿(よ)地全図」は、明治時代には軍事、教育、行政用の基本図として使われました。しかし彼が全国をまわり測量を始めたのは、もともと地図をつくるためではなく、地球の直径が知りたいという理由からでした。
伊能忠敬の測量は、まず目印を2つ立て、目印と目印との間を歩いて測るという方法。1歩を正確に69cmで歩くという訓練をして測量に臨み、それを地道に繰り返して距離を計算したそうです。
また夜間には天体観測をして、測量結果に修正を加えていきました。作成された地図の誤差はわずか1000分の1程度だったと言われています。
そして、東日本分の地図を完成させた頃、伊能忠敬は学んでいた天文学を用いて地球の直径を割り出すことに成功します。当初の彼の目的は達成されたのですが、その頃、伊能忠敬の優れた評判を聞きつけた江戸幕府は、西日本の地図をつくるように命じました。
すべての測量を終えて江戸に戻った頃には、伊能忠敬はすっかり体力が衰え、病気がちになっていました。地図が完成したのは、忠敬の死後。弟子たちの手によって「大日本沿海輿地全図」である、大図214枚、中図8枚、小図3枚から成る「大日本沿海実測録」(14巻)が完成しました。
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