サッカーは影響力が大きいから、一般の人に「課題の存在」に気づいてもらいやすいです。分かりやすいことの味方は増やしやすい。そのため、英国の学校給食ではよい成果が導けました。しかし、それより利益が複雑に絡み合う課題に向かうのにも相応しいアプローチでしょうか。
このポイントに林さんに聞くと、「ガバナンスを単独の集団だけに任せない、コラボラティブ・ガバナンスというアプローチに焦点をあてたいですね」と言います。
「営利団体・NPO・財団など多様なステークホルダーが協力関係を築き、それを基盤に、いかに公共的な価値に焦点を当てた成果を導くか。私はこのガバナンス方法を牽引するにあたり、スポーツがどのように貢献できるかに着目し、研究しています」
スポーツは影響力以外にも、「身体性を伴う」「感情を発露しやすい」「共感への障壁が低い」などの要素を強みとしてもっています。ですから、それらが上手く使われているかどうかが、適正なスポーツ活用の判断のポイントになります。
このように、公共の価値は合理的には表現できないことが多く、それ故、ポリティカルコレクトネスだけが大手を振るシーンが前面に出やすい。よって、それを回避するメカニズムが必要で、そこで林さんの提起する複数組織による協力体制つくりが効いてきます。なぜなら協力による効用は、プロセスのガラス張りと多様な視点の提示だからです。それによって複雑さを複雑さのまま受け入れる環境が形成されます。
「ブラインドサッカー」からの気づき
林さんへのインタビューのあと、紹介を受け、欧州を訪問していたインターナショナル・ブラインドフットボール・ファウンデーションの代表理事・松崎英吾さん、理事・大坪英太さんとお会いしました。この団体はブラインドサッカーの普及活動をしており、6月にイタリアで開催される世界選手権大会の準備のためにミラノにいらっしゃっていました。
(c)haruo wanibe / IBF Foundation
二人との雑談を通じて、ブラインドサッカーは視覚障がい者のためだけの種目ではないと分かりました。人々の誰もがもつ人との差異を「個性」とみるか、「区別」の指標とみるか、あるいは「差別」の元とみるか、視覚を起点にした複雑な社会構造をそのまま受け入れるシステムを提示しているのだと理解しました。
ラグジュアリーは、ラグジュアリーと称するかどうか自体が議論を呼ぶ性格をもっています。そこに意味がある。その一方、それらの議論を越えた先にある光明を指し示す存在でもあります。ビジネスが主体となってソーシャルイノベーションをおこす性質を、そもそもとしてもっているわけです。したがって複雑さはラグジュアリーにとっての得意科目でもあるでしょう。
中野さん、そこでスポーツとの関係が探索されると新しい地平線がみえてきませんか?