「苦しんだそのままが歌になっている」
尾崎の死後、兄の康はインタビューで「苦しんだそのままが歌になっています。全身全霊をこめて作っていました」と回顧する。
おそらく、尾崎のファンが100人いれば100通りの尾崎の姿がある。ファンはのたうち回りながら歌う尾崎に、自分たちの姿を映し鏡のように見出した。だからこそ、世代を超えて支持され、OZAKIは聴かれ続けてきたのではなかったか? 私の弟が言うように「尾崎以外の誰が尾崎の歌を歌っても、心に響かない」。
尾崎は学生時代、国語がよくできた。朗読もうまく、漢文が好きだった。その歌詞は、七五調を変調させたものと吉本隆明はみなした。父の短歌、母の俳句の血筋を思わせる。
古代中国の書物『荘子』に出てくる話。
顔のない、のっぺらぼうの帝「渾沌」(こんとん)の恩義に報いるため、別の国の帝二人が相談した。人には七つの穴(目、鼻、耳、口)があり、それで見たり聞いたりする。二人は一日にひとつづつ、渾沌に穴を開けた。七日後に渾沌は、死んだ。
尾崎豊という「渾沌」を殺したのは、いったい誰だったのか──。
追記:26歳でジェームス・ディーンのように突然、われわれの眼前から消えた尾崎豊。遺作アルバム「放熱への証(あかし)」作成中に、須藤晃プロデューサーは尾崎とこんなやりとりをした。
ある時、「このアルバム作りが終わったら、戦争に行った兵士が故郷のことを思って焚き火を囲んで、みんなが自分の故郷に対する想いをギターで弾き語って歌う、そんなアルバムを作りたいね」なんて話をしたことがありました。明日は自分が死ぬかもしれないという状況下で戦いに挑まなきゃいけない。でも今日は自分の家族のことを思って国に帰った時のことを歌う、そんな歌って歌として強いよね、そんな話です。「タイトルは『兵士の長い夜』にしようよ」なんて話までして盛り上がったのをよく覚えています。(別冊宝島「尾崎豊 Forget Me Not 語り継がれる伝説のロッカー、26年の生き様」2017年、宝島社刊)
あれから30年。2022(令和4)年の春、ロシアがウクライナ侵攻を始め、決着はまだつかない。いまこそ、両国の兵士たち、そしてわれわれに必要なのは武器ではなく、「ギター」ではないか。