軽井沢町長が語る「ウェルネスリゾート軽井沢」の次世代戦略

国の重要文化財に指定されている旧三笠ホテル(旧軽井沢三笠に現存)(写真提供:一般社団法人軽井沢観光協会)



福井県庁にて(写真右が杉本達治福井県知事、左が藤巻進軽井沢町長)

そのような歴史的に深いつながりのある軽井沢町と福井県は、3月17日に連携協定を締結した。すでに、軽井沢では旧軽井沢ホテル音羽ノ森、ヴィラデマリアージュ軽井沢、くつかけステイ中軽井沢、和ビストロ五感、ハナレ軽井沢などのホテルやレストランなどで福井の食材や日本酒の提供が始まっている。

また、軽井沢からカーリングの指導者が福井に行き、子供たちへのカーリング指導、越前和紙を軽井沢の建物で使用、越前・陶あかり展が八田別荘に設置)など様々な分野で連携が始まっている。

県と県内の基礎自治体との協定は、例えば防災・情報処理・ゴミ処理などが事例は多いが、県と県外の基礎自治体との協定は大変珍しい。特に軽井沢と福井は400キロ以上も離れており、近年あまり交流は無かった。今回明治時代の深いつながりが、時空を乗り越えて再びつながる。今後は東京とつながりの深い軽井沢が福井とつながることになり、大きな可能性が期待されている。


正面右の建物が八田別荘。日本遺産にも認定されている約850年もの歴史を持つ「越前焼」、400個の「陶あかり」展を3月に開催、多くの人が訪れた。八田別荘(旧軽井沢のテニスコート近くに現存、現在は八田家から軽井沢町に所有権が移転、大切に保存されおり夏には一般公開されている) 八田裕二郎は、軽井沢の風土や多様な人間関係が気に入り、毎年夏は長期滞在していた。

鈴木:今回の連携協定締結の背景や期待される成果などお聞かせいただけますか?


八田別荘の入り口にある案内看板

藤巻:福井県は歴史的にとても魅力が多い県だと思っております。応仁の乱(室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱)で京都が壊滅状態になった時、京都から福井へ多くの文化人や公家衆や僧侶が移り住んだと言われて「北陸の小京都」とも言われており独特の文化が残っている場所です。

また、福井には1500年も続いている越前漆はじめ、越前和紙、越前打ち刃物、越前焼、越前箪笥などの伝統を継承している素晴らしい県です。近年ではメガネや繊維などの新しい産業も有ります。近年はチタンやカーボンなどのメガネフレームの加工技術を生かし医療分野に進出するなど、とてもイノベイティブだと思っております。

今後は、軽井沢と福井がお互い新しい価値を生み出すべく、幅広い分野で連携してき、地域経済全体の活性化に寄与できるような戦略を考えていきます。具体的には、軽井沢の高原野菜を福井県で販売、また福井県の越前がにをはじめ新鮮な海の幸を軽井沢で販売など観光・経済・学術・教育・文化・芸術・スポーツ・食・ウエディング・ワーケーション・ライフスタイル・人的交流など幅広い分野での連携を検討しております。

インタビューを終えて



右が軽井沢町藤巻進町長、左が筆者。マスクは撮影時のみ外してます。(軽井沢町役場 町長応接室にて)

藤巻進町長とは、2008年に一般社団法人軽井沢観光協会会長の時に初めてお会いした。2011年に軽井沢町長に当選されて以来、軽井沢の将来についていつも意見交換をさせていただいている。とても温厚で創造力のある町長なので、いつもディスカッションが長時間になる。今回はそのようなご縁で対談が実現した。今回も軽井沢の次世代戦略について熱く語って頂いた。

文=鈴木幹一

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