マクルーハンは1960年代に、IBMは事務機器を売っているのではなく情報処理、AT&Tは電話ではなくコミュニケーションというビジネスをする会社だと、当時の役員たちに講演したが、誰もその言葉を理解しなかったという。その流儀で言うなら、新聞社は新聞ではなくニュースを扱うビジネスだ。
ニュースというものは人類の発生からずっと、その生存のための不可欠な要素としていろいろな形で伝えられてきたが、われわれが知るところの新聞は、それをより広く早く伝えるための手段としては、紙に輪転機で印刷して配るのが最適な方法だと結論付けた。
そうした環境が意味を持つのは、紙が大量に安く入手でき、配達するのにもコストがかからないという工業時代の常識があってのことだ。その前提が崩れ、ネットですべてこなせば当初の理想をそのままネットで実現すればいいだけの話だ。ところが前述のように、いままでのレガシーをすぐに捨てて切り替えるわけにはいかない。
ニュースを人々の日々の生活や、世界の人々の連帯を維持するための必需品と考えるなら、2004年に米研究者が構想した10年後のネット時代の新聞EPIC(Evolving Personalized Information Construct)を思い出してもよかろう。ニュースの収集や配信は、グーグルが検索機能にSNSを付けて強化して新聞社を締め出し、広告によるビジネス部門に通販機能を強化してアマゾンを吸収して合体して「Googlezon」というシステムが世界を独占的に支配し、オーウェルのビッグブラザーのように君臨するというディストピア的ビジョンだ。
Carlos Amarillo / Shutterstock.com
現在のように新聞や放送などの機能がネット化し、それらがビジネスとして機能しているのはネット広告やサブスクと呼ばれる定期購読であることを見れば、上記の予想は形式としては概ね外れてはいない。
しかし個人情報の扱いに関するセキュリティー問題や、ニュースがフェイクでないかどう信憑性を担保する方法にはまだ有効な解決法もない。ネットの中でジャーナリズムはどう機能すべきなのかという問題にも正解は見えない。
現在の状況は、ここ200年ほどの間に社会の情報インフラとなった、新聞というメディアがネット時代に進化しているだけだ。しかしその生存競争に生き残れるのは、デジタルという隕石が落ちて生じた環境変動で生き残れなかった恐竜のような新聞社ではなく、いち早く哺乳類のように身軽に環境に適応した新(シン)新聞社だろう。
連載:人々はテレビを必要としないだろう
過去記事はこちら>>