テクノロジー

2022.03.13 19:00

「新聞」はもともとデジタルだった?


その後の工程としての記事を編集して新聞紙に印刷する部分は、活字を組み上げる形式のままずっと変化することはなかったが(活字を並べるための機械化は行われたが)、1960年代になって編集とレイアウトを電子化する動きが始まった。日本では朝日新聞と日経新聞がIBMと組んで、コンピューターの画面で紙面イメージ上に記事を配してそのまま印刷用の版を作るシステムを開発し、これが1980年代から本格稼働した。

こうして入口部分の電子化から1世紀以上経って、本体の電子化が行なわれることで、より多くの情報を迅速に新聞という最終プロダクトに落とし込むことができるようになった。これは現在で言うなら、大型コンピューターを使ってDTPを行っていたようなものだ。

そして新聞製作工程を電子化することの副産物として、デジタル化した記事をデータベースに蓄積して過去記事を再利用したり、電子化した記事をネットワークで配信したりすることが可能になった。

そして訪れたのが1990年代のインターネット時代だ。つまり、入口の電子化が中間の製作工程の電子化に及び、ついには情報の出口にまでその進化が達したという事になる。おまけにネットのおかげで、入口の部分の取材や原稿の送信機能も強化された。

しかし輪転機という巨大な機械を保有することで、大量の印刷を高速に日々行うための進化した出口の部分はおいそれと止められないし、その後のトラック便や鉄道便による物流部分や、新聞配達をするための全国の販売店という紙に特化したインフラはまだ存在する。

トヨタが電気自動車(EV)の時代が来ても、すぐに部品工場を閉鎖して身軽に最先端に打って出られないように、これまでの成功を支えてきた現在は負に転じた遺産をすぐに捨てて、入口から出口までデジタル化することは理想的であっても現実的ではない。いわゆるイノベーションのジレンマだ。わかっちゃいるけど止められない、という難問に経営者も頭をかかえる。

デジタル化の先に生き残るのは


しかし世界の変化に適応できなければ、有名企業も老舗も存続はできない。花王石鹸がその名を捨て広く化学製品にシフトし花王となり、富士フイルムがデジカメ時代にフィルムや印画紙から脱却した化粧品や医療に進出したように、新聞社も新聞紙に印刷して配るビジネスモデルを、本来のニュースを広く読者に届けるという原点に立ち返って、デジタル時代の工夫をすればいいではないかという声も聞こえてくる。


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アメリカではいち早くデジタル化のトレンドに立ち向かったニューヨークタイムズ紙がネット有料化で成功していると伝えられるものの、紙の新聞の損失をどうにか補っている程度で、多くの新聞社は廃業に追い込まれている。

同紙はいち早く、新聞しか知らない創業一家の経営を立て直すために、10年前にCEOになったマーク・トンプソン元BBC会長の下、外部のデジタルに特化した新しい血を導入して、新聞社の常識にとらわれない経営を断行してきた。ワシントン・ポスト紙を買ったアマゾンのジェフ・ベゾス元会長も、従来の常識に捉われないデジタル時代の新聞を指している。

では、このネットとデジタルの支配する世界で、新聞はどうなっていくのだろうか?
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文=服部 桂

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