同工異曲? 「向田邦子」と梶原一騎
昨夏の当欄で向田邦子を、ADHDに近縁のADH(障害とまでいかない状態)と分析したことがあったが、それにならえば、梶原一騎も同断としてよいように思える。
ADHDから反抗挑戦性障害に近い状態を示唆する記述が、斎藤氏の前述書にも確認できる。
「狂気の時代」の見出しで書かれた第六章、1975(昭和50)年代に入ってからの梶原の作品はどれも後半、暴力団が出てくるお決まりのパターンを繰り返す。しかも、「愛と誠」や「男の条件」などの名作と違いストーリーの必然性は無い。自然と作品はすさんでいった。
劇画王として多忙の極みにいたからこその「すさみ方」ではあったかもしれない。だが、飽きっぽく最後まで持続しないという「ジャイアン」的な気質、つまり尻切れトンボ状態が作品にも反映しているととらえることも可能だ。
「結局、俺はやらなくてもいい余計なことをやるんだよ」
梶原は私生活でも妻といちど離婚し(1972年)、映画製作の分野に進出して「金と女と暴力」にはまっていった。
だが一方で、梶原一騎は最期までその根っこに純な心を持っていたといえるのではないか。
『「あしたのジョー」と梶原一騎の奇跡』(斎藤貴男著、朝日文庫)
元東京都知事の作家猪瀬直樹氏がまだ無名時代の1984年、梶原一騎をインタビューした(『あさってのジョー』新潮社)。前年に逮捕され、壊死性膵炎で手術を4回繰り返したあとの時期。体重90kgの巨漢から60kgまで減った梶原相手に、警視庁の留置場生活から女優との浮名まで、本音でズバズバ切り込んでいる。
「結局、俺はやらなくてもいい余計なことをやるんだよ」と答えた箇所が印象的だった。気が多いADHの面目躍如ではないか。
その猪瀬氏が梶原の弟、真樹日佐夫の前述の書に解説を書いている。
「梶原一騎のスポ根ものは高度経済成長期の頑張リズムと符牒があっていた。スポ根ものはもはやパロディでしかない。こうした評価は否定しないが、なにかが抜け落ちてしまう(中略)暴力を求めながら、力道山のようなヒーローになれなかった男、大山倍達のような無敵の男になれなかった男、その晩年の虚ろな表情を覗きみたような気がするからだ、、、梶原一騎も、じつは高森朝樹氏の見た夢のなかの登場人物であったかもしれない」
誰しも座右の銘があろう。私のレパートリーのひとつに、坂本龍馬の言葉がある。
「死ぬときは、どぶの中でも前のめり」
梶原ワールド読者ならご存知、「巨人の星」で父一徹が飛雄馬に語ったもの。史実かどうかはこの際、どちらでもよい。いまだに児童養護施設に贈られる「匿名のタイガーマスク」からの寄付行為のニュースに、前のめりに生きた梶原一騎の残影をみている。
梶原一騎の墓(護国寺内墓地)
連載:記者のち精神科医が照らす「心/身」の境界
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