おれは虎になるんだ!──梶原一騎原作のアニメ「タイガーマスク」を視ようと、毎週テレビにくぎ付けだった半世紀前。大阪万博が開催され、♪大きいことはいいことだ~とCMで歌い上げた高度経済成長後半期だった。
『タイガーマスク』完全復刻版全14巻から(筆者蔵)
「巨人の星」「柔道一直線」──劇画原作で時代の寵児となるも
アラ還世代の私にとって、「巨人の星」「柔道一直線」「空手バカ一代」などはすべて、リアルタイムで強い影響を受けた作品だ。中学2年の正月、お年玉を握りしめて近所の書店に向かい、「あしたのジョー」単行本全20巻をまとめ買いした。悪事をはたらいた主人公矢吹丈が少年鑑別所で、師匠丹下段平から届いた葉書「あしたのために」を読み、シャドーボクシングをするのを真似て、学校の掃除時間に竹ぼうきを振り回し、担任からビンタを食らった記憶が鮮明に残る。
それだけに劇画原作で時代の栄光に包まれながら、1983年に雑誌編集者への暴行事件で逮捕されてからの凋落は、心底いたたまれないものがあった。事件直後の大病は、長年のストレス(絶頂期は睡眠2、3時間)と酒量の増加など不摂生がもたらしたと思われる膵臓壊死だった。奇跡の回復もつかの間、1987年1月21日、梶原一騎(本名:高森朝樹)は50歳で帰らぬ人となった。
梶原一騎(本名:高森朝樹)のポートレイトが表紙になった書籍、『弔花を編む』(文芸社)
実弟の真樹日佐夫(故人、本名高森真土)は著書『兄貴 梶原一騎の夢の残骸』(ちくま文庫)で、梶原の死を「消極的な自殺」と受け止め、「豪胆なように見せていて実に小心な面があった」と記した。闘病後もあえて酒を節制せず、人工透析もすっぽかしがちだったことを根拠としている。
豪放磊落、あるいはバイオレンス漂うこわもてイメージと、弟の言う「小心」との落差に何が潜むのか。詳細に書き起こしたのが斎藤貴男氏の『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』(新潮社、のちに改題加筆して文春、朝日文庫からも出版)だ。
教師を闇討ち、同級生には大怪我を──で、ついに
高森朝樹は1936年、東京・浅草生まれ。ところが教師だった父方祖父が九州出身だったため、公称を熊本生まれとしていた。父龍夫は「反骨心が旺盛な自由人」で、教師からのち編集者となった。母や江は軍人の家系で、兄の縁で知り合った龍夫と結婚し、戦火のさなか長男朝樹ら息子3人を育てた。
次男真土は「お父ちゃんの方の血が知性なら、おふくろの方は乱暴者で、情念の血」と評した。
朝樹は幼少時から乱暴で目立ちたがりだった。1943年、今の青山学院初等部に入学するがケンカばかりの日々で、1年経たぬうちに公立小へ転校。翌年には宮崎に疎開し、隣県の鹿屋基地から出撃する特攻隊員と仲良くなった。
戦後、高森家は川崎に居を構えた。ボクシングが好きになった朝樹は、拳聖といわれたピストン堀口に入れ込み、無賃乗車で山口まで試合を観に行った。相手に好きなだけ打たせてから連打するピストン戦法が特徴で、朝樹は作家となってから「打たせて撃つ ピストン堀口血戦譜」を東京中日新聞に連載している。
同紙は私が勤めていた新聞社が発行(現東京中日スポーツ)。『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』の斎藤氏は同書執筆にあたり100人近い関係者に取材しており、そのうちの一人が私の元上司だった。