「星飛雄馬」の父一徹は、実父龍夫がモデル
「巨人の星」は令和時代の今も、キャンペーンなどに使われている(写真は東京メトロ線に乗車するとポイントが貯まるという「メトポの星」キャンペーン)
かつて、ADHDのような育てにくい子は親の養育に問題ありとされる時期があった。今では、その成因は発達障害という生来の体質によるものと分かっている。
もちろんADHD者がすべて暴力的なわけではないし、厳密に診ていけば、梶原が診断基準をきちんと満たすわけではない。むしろ注目すべきは彼の純粋なひたむきさや優しさだろうと考える。その背景にあるのが愛着の問題だ。
ファンなら周知のように、梶原が元々なりたかったのは劇画原作者ではなく小説家だった。それには幼少時、永井荷風や谷崎潤一郎からの手紙が編集者である父親の元に届き、それらを目にしていた環境もあったかと思われる。
教師の家系を引く父方の才だろう、教護院時代の学科では国語が抜群にできた。14歳頃の授業中にダンテの「神曲」を読みふけったエピソードを知り、私は仰天した。
父の龍夫は病気がちだった母に代わって乳飲み子時分の梶原をおぶり、編集の仕事場まで連れて行ったという。その父が梶原21歳の時、胃がんで逝去。梶原と父は「顔が合えば反撥してばかりいたが、しかし彼なりに父を愛していたのは事実」で、その後生活態度が一気に自暴自棄になったと弟は振り返る。
後年、劇画原作者としてスターダムにのし上がる記念碑的作品となった「巨人の星」の主人公星飛雄馬の父一徹は、父龍夫がモデルになっている。それもかなり、デフォルメされて。
「家族への愛着」を織り込んだ劇画、精神医学から見立てるなら
世間で言われるように、梶原劇画を「スポ根もの」のひと言でくくってしまうと、作品の本質が見えなくなる。
では、どう見立てればよいのか?
スポーツは道具立てに過ぎず、劇画のなかに「人間」を描いてほしいと編集側が依頼した。マイホーム主義全盛の昭和元禄時代、青春教養小説を目指した「巨人の星」は父と子、「あしたのジョー」は師匠と弟子、そしてライバルとの葛藤と成長をそれぞれ書き込んだ不朽の名作だ。そこには、家族への愛着という問題が絡んでいる。
筆者が新聞記者を志すきっかけにもなった(筆者は元中日新聞記者)名作、『空手バカ一代』
精神医学でいう「愛着障害」は、5歳以前に極端に不十分な養育を経験し、怒りや悲しみを感じても他者に安らぎを求めることがない。しかも、他者から慰めを与えられても安らぎを感じない状態を指す。いわば、能面のような心しか持てずに育った人のことで、自閉スペクトラム症と似通うが、違いは愛着障害には後天的な要素が強く、愛情豊かな再養育での修正(治療)が可能な点だ。
梶原は、この定義には当てはまらない。むしろ、怒りっぽく挑発的な口論好きで、執念深さを示す「反抗挑戦性障害」に近い症状をとくに晩年ヒートアップさせたように見える。
だがこれも、先に示した「ジャイアン症候群」と重なる部分が多い。司馬医師の前述書によると、ADHDの子どもは年齢とともにより重症の反抗挑戦性障害に進行することも多いという。