朝樹は川崎の小学校でもケンカに明け暮れて居場所がなくなり、北九州の母の親類に預けられたが教師を闇討ちして退学。東京の家族のもとに戻っても同級生に大怪我をさせるに及び、両親は決断した。
13歳の春、朝樹は東京・青梅の教護院に入所した。今は児童自立支援施設となった教護院は、家庭での監護が困難な少年を親の同意の下で指導し育てる場所だ。当時の院生には盗癖の少年が多く、戦災孤児も混じっていた。
この時期の経験を作品に活かしたのが「あしたのジョー」。少年院送りになったジョーを待ち受けていたリンチ場面の描写は朝樹自身の体験が元になっている。
「少年マガジン名作セレクション 『ジョー&飛雄馬』」の外箱から(筆者蔵)
なぜ朝樹(梶原一騎)はそんなにも暴力性を発揮したのか?
精神科医の私が新聞記者としての経験も踏まえて分析すると、次のようになる。
「みんな血の滾(たぎ)りのせいなんでな」
生まれつき感情や行動を抑制する働きが人よりも弱く、すぐ癇癪(かんしゃく)を起こす子がいる。そのうえ、忘れ物が多いなど不注意が目立ち、じっとしているのが苦手な多動が重なり、学校や社会に出ても軋轢(あつれき)で生きにくさを抱える人たち。これがADHD(注意欠如多動症)だ。
まだADHDが世間に知られていなかった25年前、こうした人たちのことを漫画ドラえもんの登場人物を使い、「のび太・ジャイアン症候群」と命名して世に問うたのが医師の司馬理英子氏だった。
ADHDは感情の起伏が激しく衝動的で異常な活動性を示すタイプと、多動は伴わないが不注意の目立つタイプに大別される。司馬医師は前者を「ジャイアン型」、後者を「のび太型」と呼んだ。
前述のとおり、梶原は幼少時からケンカっ早くて、どこに行ってもトラブルメーカーとなった。なるほど、ジャイアンのような衝動性を地で行く様子が斎藤氏や弟の著書から読みとれる。
教護院から脱走して家に戻った時、両親への当てつけではと弟に問われ、梶原は「みんな血の滾(たぎ)りのせいなんでな。こればっかりは誰にも止められない。親にどうこうってのとは、ちっとばかり違うんだよな!」と答えている。
これと同じことを司馬医師が著書で表している。
「ジャイアンの衝動性は、ダムにためられていた水が、急に決壊して流れ出すはげしさを持つ。衝動が、障害物も配慮も良心も何もかも押し流してしまう。自分の欲求や怒りが、すべてを凌駕してしまう」(『のび太・ジャイアン症候群』主婦の友社)