「フォロワーシップのあるリーダー」こそが本物である
あるいは、こう言うべきかもしれません。参謀とは、「フォロワーシップのあるリーダーである」と。
なぜなら、参謀はときに、上司の指示・命令に「従わない」という判断をしなければならない局面があるからです。上司の指示・命令が「原理原則」に反していると判断したときには、それに抗い、「原理原則」を外さない実行可能な対案を提示、採用されるようにするのが参謀の真骨頂です。
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であれば、参謀の本質は「フォロワー」であることにあるのではなく、「リーダーをサポートする役割」という立ち位置を堅持しつつも、上司とは別個の「リーダーシップ」を発揮すべき存在ということになるはずです。
だからこそ、私は、「リーダータイプ」「参謀タイプ」ともに、リーダーシップが求められるという意味で、どちらも本質的に同じであると結論づけたいのです。
こう言ってもいいかもしれません。
優れた参謀こそが、優れたリーダーへと成長できるのだ、と。
なぜなら、「フォロワーシップに欠けたリーダー」は、リーダーとして十分に機能し得ないと思うからです。
リーダーシップを論じた自著『優れたリーダーはみな小心者である。』(ダイヤモンド社)のなかで、私はこう書きました。
「リーダーシップとは、相手を無理やり動かすことではない。そんなことをしても反発を食らうだけ。それよりも、魅力的なゴールを示して、メンバーの共感を呼ぶことが重要。そして、メンバー一人ひとりの主体性を尊重することで、チームが自然に動き出す状況をつくる。こうして結果を生み出していくことこそがリーダーシップ。そのためには、相手の気持ちを思いやる『繊細さ』こそが武器になるのだ」
ここで私が言いたかったのは、メンバー一人ひとりが主体性を発揮することによって、その能力を最大限に「機能」できるようにすることこそが、リーダーの仕事だということです。
そのためには、人事権を振りかざして、メンバーを無理やり動かすのではなく、参謀が上司を「機能」させるためにフォロワーシップを発揮するのと同じ感覚で、リーダーがメンバー一人ひとりを「機能」させるためにフォロワーシップを発揮すべきなのです。
つまり、本物のリーダーとは、単なる「リーダー」ではなく、ましてや、人を無理やり動かす「剛腕型リーダー」ではなく、「フォロワーシップのあるリーダー」だと言えます。その意味で、参謀は「本物のリーダー」になるための登竜門なのだと思うのです。
ちなみに、「あの人は、参謀としては有能だったが、組織を動かすリーダーとしては失格だった」といったことがよく言われますが、私は、真相は違うのではないかと思います。実際には「真の参謀」ではなかったから、「リーダー」としても機能しなかったのではないかと思うのです。
ただし、リーダーシップを発揮しようと「気負う」必要はありません。
それよりも、肩の力を抜いて、「こうなればいいな」「こんなことができたらいいな」という「理想」を思い描き、それを実現すべくみんなと力を合わせることです。そして、自分が「正しい」と思えないことには、「NO」と言う。そんな、人として当たり前のことを淡々とやり続ければ、そこには自然とリーダーシップが生まれているのです。
『参謀の思考法』が、そんな生き方をしていくうえでの参考書になれば幸いです。そして、たくさんの優れた「参謀」が生まれることで、多くの会社が活性化するとともに、豊かで楽しい人生を送る人が増えることを、心から祈っています。