文化が育ち、経済が動く。日本が取り込むべき「ハイエンド」とは何か?

シーナリーインタナショナル代表 齋藤峰明氏(左)、Urban Cabin Institute パートナー山田理絵

資本主義経済が成熟し、物質的に満たされた世の中において、人々が商品やサービスを選ぶ基準が変化してきている。一つの指標として、「自分をどのように豊かにしてくれるか」が問われる時代がきているのではないだろうか。

五感に訴えるモノ、魂をゆさぶるような体験、より高付加価値のサービス……。では、それらは具体的に何であり、どのように享受、あるいは提供することができるのか。

ハイエンドブランディングプロデューサーの山田理絵が、アート、ファッション、食、イノベーションの分野に精通するトッププレイヤーたちと対談し、ヒントを聞き出していく。第一回のゲストは、元エルメス本社副社長でシーナリーインタナショナル代表の齋藤峰明氏(このトークの対談全編はこちら)。


齋藤:まず僕からお聞きしたいのですが、こうしたトピックを話すとき、山田さんはいつも「ハイエンド」という言葉を使うのですか?

山田:はい。近しい意味の言葉としてグジュアリー、上質、高級、トップエンドなどがありますが、ハイエンドが一番しっくりくるんです。私は、ハイエンドとは、「自分が本当に高まると感じさせてくれるもの」だと定義しています。

それは必ずしもお金に換算して高いモノだけではありません。例えば体験においていえば、極端な話、無料でも心の奥に響くような体験、自分の内面が変わったような体験だったとすれば、それはハイエンドだと思います。

齋藤:今回の対談の核心ですね。より馴染みのあるラグジュアリーの話をすると、今、ラグジュアリーと言えばまずブランドが想起されますが、ラグジュアリーはフランス語では「リュクス」といって、豪華、絢爛、贅沢など、ヨーロッパの王朝・貴族文化から生まれた言葉でした。

遡れば古代エジプトも中国の王朝も同じですが、貴族たちに職人が集まって良いものが生まれ、そこから文化的な要素が膨らんでいくという歴史がありました。

中世、ルネッサンス、19世紀のブルジョアを経て、貴族文化がなくなった後も、リュクスなライフスタイルへの憧れが続き、20世紀入ると宮廷御用達だった職人やメゾンが世界的なブランドになっていきます。それがあまりに売れるものだから、今度は資本家たちがそこにお金を出して買収し、ブランドビジネスになったのです。

山田:最近は、世の中のラグジュアリーの考え方も大分変わってきましたよね。

齋藤:先ほどのハイエンドのお話であったように、物質的なものに限らず、精神的なラグジュアリーも探求される時代になっていますね。「ものはあるけど、豊かさは感じないな。もっと昔の方が豊かだったのかな」と、人々が気付き始めていると思います。

そういう意味では、(対談会場である)焼け跡の「BLACK CUBE」は素晴らしい空間ですね。モノとしては焼かれてしまった家が新たな美を生み出していて、品格を感じます。究極の侘び寂びではないでしょうか。



山田:モノを排除して、本質が炙り出されたからですね。利休の「侘び数寄」の哲学を360年継承する山田家の11代目として私たちが接する方々は、オールドファミリーから新興富裕層までさまざまですが、齋藤さんは今までどんな方々と接してこられましたか?

齋藤:ハイエンド層というと、特に欧米では美術館の友の会やアートコレクターなど、文化的レベルの高い方々が多いですね。

エルメスで働いていた時、スタッフは育ちの良いご子息・ご息女が多かったですね。お客様に関しては、2000年代にかけて、いわゆる良家の方に限らず、ビジネスで成功した人やスポーツ選手、ハリウッドスターなど、アメリカ的な新資本主義の中でお金持ちになったお客様が増えてきました。
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文=山田理絵/太田睦子

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