時代を経ても変わらない? 働く女性の苦悩と欲望

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今週明け、女優の神田沙也加さんが急逝したというニュースが日本中を駆け巡った。トップアイドルの娘という重圧を跳ね除けてミュージカル女優として成長し、ディズニーアニメ『アナと雪の女王』の日本語版吹き替えではアナを演じ、声優としても広範な人気を獲得していた。

この原稿を書いている20日現在、亡くなった理由は不明だが、ネットやテレビのニュースでは報道の最後に「いのちの電話」を紹介するなど、自死を考える人への予防的なアナウンスがされている。

本連載では毎回、時事問題や折々の話題から紹介する映画を選んできたが、最終回でこんな悲しい話題を取り上げるのは、気が進まなかった。

しかし現実に目を向けると、コロナ禍で去年1年間の自殺者は前年より増え、特に勤労女性の増加ぶりが目立っている。「生きていればきっと何とかなる」という社会への信頼が、今こそ望まれている時代はないだろう。

さて、連載100回目を迎えた今回のコラムで紹介するのは、『モスクワは涙を信じない』(ウラジーミル・メニショフ監督、1980)。アカデミー外国映画賞を受賞している、旧ソ連時代の作品である。二部構成の第一部では1950年代の後半のモスクワで働く女性、第二部では彼女たちの20年後を描いた群像劇となっている。

年代も環境も私たちの実感とはかけ離れているように思える作品を、なぜ取り上げるのか。それはここに、現代の働く女性を取り巻く問題が、見事なまでに凝縮されているからだ。

カーチャたちの「婚活」


冒頭は1958年のモスクワの夜。今からするとネオンも少なく暗い市街だが、店の中からは賑やかな音楽と人々の騒めきが聞こえる。夜道を急ぐのはカーチャ(ヴェーラ・アレントワ)。友人のリューダ、トーシャとアパートで共同生活をしながら、板金工場で働いている。

女子専用アパートの狭いがカラフルな室内、路上で芸術論をぶつ男やデートする男女、劇場に入っていくスターに歓声を上げる人々、どこからか流れてくるジャズなど、私たちが旧ソ連でイメージするものとはいささか異なる街や人々の情景が、生き生きと描かれる。

主人公はカーチャだが、前半はリューダの存在感が強い。彼女の目下の目標は、お金持ちの男性を射止めて結婚すること。インテリを装ってレーニン図書館に行き、喫煙室で複数の男性と知り合うことに成功する。今で言う婚活だ。

さらに、大学教授で高級マンションに住むカーチャの叔父夫妻が、1カ月の旅行のため留守番を姪に頼んだのをこれ幸いと、カーチャとともにそのマンションに逗留。2人とも教授の娘だと偽り、知り合ったばかりのめぼしい男性を招いて、早速パーティを開く。
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文=大野 左紀子

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