スケーターからプロボクサーへ。闘う姿勢を崩さない「トーニャ・ハーディング」という生き方

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(c)2017 Al Film Entertainment LLC

開会まで2カ月を切った北京2022冬季オリンピックを前に、不協和音や不安材料が出始めている。

ジョー・バイデン米大統領は、中国による新疆ウイグル自治区での人権侵害を理由に、式典には政府代表を出席させないという「外交的ボイコット」を明らかにした。

新型コロナウイルスの新たな変異株も、影を落としそうだ。日本スケート連盟は、日本の水際対策が強化されたことなどを受け、今月9日から大阪で開催される予定だったフィギュアスケートの国際大会「グランプリ(GP)ファイナル」を中止すると発表している。

冬季五輪の華であるフィギュアスケートだけに、関係者だけでなくショックを受けているファンは多いだろう。

さまざまな伝説を生んできた五輪フィギュアだが、その影にはスキャンダルもあった。強く記憶に残っているのは、1994年のナンシー・ケリガン襲撃事件である。

今回取り上げるのは、その事件に関わったとされたライバルのトーニャ・ハーディングの伝記映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(クレイグ・ガレスピー監督、2017)。最初に全体の経緯をざっとまとめておこう。

トーニャ・ハーディングは1970年、オレゴン州ポートランドの労働者階級に生まれ、幼少からスケートを始めた。1990年にジェフ・ギルーリーと結婚。1991年の全米選手権でトリプルアクセルを成功させて初優勝、続く世界選手権で2位となる。この年、離婚。

1992年のアルベールオリンピックで失敗して不調が続いていた折、リレハンメルオリンピックの選考会である全米選手権の会場で、ライバルのナンシー・ケリガンが何者かに襲われ怪我。トーニャは優勝するが、元夫のジェフらが逮捕され彼女にも疑惑の目が向けられる。

そんな中で行われたリレハンメル本番のフリー演技が始まってまもなく、トーニャは突然泣きながら演技を中断、ジャッジの前でスケート靴紐の不具合を訴え、グループ最後にやり直しの演技をするも、最終順位は8位入賞にとどまった。

トーニャ・ハーディング
(c)2017 Al Film Entertainment LLC

ケリガン襲撃事件について、元夫らは懲役刑、トーニャは3年間の執行猶予を受け入れ、全米スケート協会は1999年までの彼女の公式大会出場権を剥奪した。トーニャはフィギュアに復帰することなく、紆余曲折を経て2003年にプロボクサーとしてデビューした。

今は引退しているが、プロボクサーだった当時のトーニャ(マーゴット・ロビー)と、彼女を巡る人々からのインタビューを元に構成された体裁を取っているこのドラマは、さまざまな暴力に満ちている。

まず、トーニャの母ラヴォナ(アリソン・ジャネイ)。4歳で才能の片鱗を見せたトーニャに賭けた彼女は、おしおきも言葉の暴力も辞さない厳しさで娘を鍛え上げようとする。リンクでもスパスパ煙草を吸い、粗野な言葉遣いを隠そうともしない険しい顔つきのラヴォナの存在感は、どの登場人物よりも強烈だ。


(c)2017 Al Film Entertainment LLC

母に褒められたい一心で励み、16歳でキレのある演技を評価されたトーニャにラヴォナがかける言葉は、「レズビアンの男優みたい」。ボーイフレンドとのデートについてきて「もうやったの?」。どう考えても毒母だが、大きな眼鏡の奥の目はいつも超然として、何を考えているのかわからない不気味さも漂わせている。

愛情のあり方が読めないラヴォナに対して、トーニャの初恋の相手で夫となるジェフは、わかりやすい人物だ。一見優しげな好青年だが、人生にこれといった目標もなく、プライドが高いわりに人に依存しやすい。

出会った当初の2人は、見ている方が気恥ずかしくなるほどの初々しさに溢れている。歯の矯正器具を気にしながら喋るトーニャ、照れたような顔で答える女性慣れしてないジェフ。だがストレートな愛情溢れる甘い関係は、やがて喧嘩と暴力と仲直りを繰り返す共依存関係へと雪崩れ込んでいく。
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文=大野 左紀子

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