「実は人に見られるのは、好きではないんです。舞台に立つとときめく、なんて人もいますが、まったくない。撮影中も、できるだけ人に見られたくないくらいで(笑)」
この世界に入ったのは、偶然に近かったといいます。ごく普通に過ごしていた中学を卒業して、進学したのは同級生の7割が「ツッパリ」だったという高校。自身も不良仲間に染まり、1年で退学してしまいます。
「見たことのないような世界が、新鮮だったんでしょうね。でも、一気に染まったんで、一気に飽きてしまって」
高校を中退した後にはアルバイト生活が始めますが、辞めグセがついていて長続きしません。それもあり「募集」の文字には敏感になっていたといいます。
そして出会ったのが、タレント養成所の俳優募集のポスターでした。17歳で入所し、3年以上をそこで過ごします。
「中学のとき、美術の成績だけはよかったんです。試験が面白くて。真っ白な画用紙にテーマだけ与えられて、あとは自由に描いていいということだったので。絵は下手だったんですが、発想が面白い、と先生が褒めてくれて。
ゼロから何かをつくりたいという気持ちが、その頃からあったのかもしれません。役をつくっていくことは、この試験に似ていたんですよね。その面白さに目覚めて、次第にのめり込んでいきました」
しかし、思うように役はつくれませんでした。いまではさまざまな役をこなしていますが、実は不器用なのだといいます。ヒントをつかんだのは、養成所を離れる少し前のこと。映画「ゴッドファーザー」を観たときでした。
「主演のマーロン・ブランドが、長男を殺されたことを知るシーンがあるんです。何もしていないのに、身体中から悲しさが漂っていて。気持ちさえあれば、こういう演技ができるんだとわかりました。でも、そのためには、自分を解放していないといけない。それがなかなかできなかった」
それでも俳優としての潜在能力は、見る人が見ればわかったのかもしれません。この後、俳優の仲代達矢さんが率いる無名塾に入塾しているのです。800人中5人しか選ばれない難関試験をくぐりぬけてです。
ところが、遠藤さんはわずか10日で辞めてしまいます。
「辞めグセが残っていたんですよ。ピーンと張り詰めた空気に堅苦しさを感じてしまって。結局、自分に負けて逃げ出したということだと思う」
自制が利かなかった自分を、遠藤さんは責めました。3カ月間、新宿の思い出横丁で飲んだくれ、荒れる日々。人生で最も苦しかった時期だといいます。
しかし、この体験が遠藤さんを俳優へと追い込みます。養成所の先輩に協力してもらい、自らの演出で2人芝居に挑むのです。1日だけの公演。お金がなく、稽古場も借りられないため、新宿中央公園が稽古場になりました。
「お客さん集めも考えました。東京はいろんな劇場で舞台をやっている。だから、そこに行って入場待ちしている人に、自分の公演のチラシを配って回ったんです」
この公演で、遠藤さんはスカウトを受けることになります。養成所時代から、オーディションには落ち続けていましたが、いきなりNHKのドラマでのデビューが決まるのです。