Vシネマの撮影で鍛えられる
21歳で念願のデビューを果たしますが、その後も順調とはいきませんでした。アルバイトをしながら、仕事を待つ日々。あり余る20代のエネルギーを発散する先を探しました。1人旅をし、バイクに乗り、牧場で働く。8ミリ映画に挑み、写真も始めます。脚本の勉強もしました。それらはすべて、後に貴重な経験として生きていきます。
29歳までは、「4畳半、トイレ共同」の木造アパート暮らしが続きました。
「あの経験があるから、いまも大抵のことは我慢ができるんです」
抜け出したのは、結婚がきっかけでした。新居には、衣類などの全財産をゴミ袋たった1袋に詰めて持っていったそうです。
「当時、女房はオレより稼いでいたんです。だから、これなら大丈夫だと思って引っ越ししたのに、仕事は辞めると言い出しましてね。うそだろ、ですよ(笑)」
生活が自らの肩にのしかかりました。ところが、不思議なもので、結婚後から仕事が入り始めるのです。独特の雰囲気で後に引っ張りだことなるナレーションの仕事も入るようになり、レンタルビデオ専用の映画「Vシネマ」の常連にもなっていきます。そして、これが遠藤さんを鍛え上げていくのです。
「低予算ですから、できることに限りがある。あとは、監督や共演者と力を合わせて、頭を使って工夫するしかないわけです。油断すると絶対に面白くなくなるんですよ。
体力的にも鍛えられましたね。朝6時にバス乗り場に集合して、9時から翌日の朝8時までぶっ通しで撮影。1時間仮眠して、また夕方まで撮影みたいな。でも、そんな状態でも現場にいるとハイテンションになって、突き抜けたアイデアが出てきたりするんです」
やがて俳優としての転機が訪れます。もともと相手に対して凄むような悪役が多かったのですが、あるドラマでこれまでと違う役柄の犯人役を演じたのです。
「これが自分にしっくりきたんです。淡々と普通に静かに語る犯人。いまでこそ一般的になっていますが、当時は珍しかった。京都の撮影所で『どこで覚えたか知らんけど、そんな芝居通用せぇへんで』と言われたこともありました。でも、こういうワルもいるはずだ、と思ったんです」
悪の美学も感じさせるこのスタイルが、多くの監督の目に留まり、次々と声がかかるようになりました。ブレイクが始まるのです。しかも、それまで悪役ばかりだったから、これからも来るのは悪役なのかと思っていたら、違いました。次第に幅広い役を任されるようになっていくのです。
「結局、不器用だったからだと思うんです。台本を読むのは遅いし、覚えるのも遅い。ひょいひょいとできてしまう人ならしなくていい努力までする必要があった。しかし、できないからこそ、手を抜かずに努力するしかなかったんです」
その姿勢は、変わることはありませんでした。
紆余曲折はありましたが、遠藤さんは俳優になることをあきらめたことはありませんでした。どこかで自分を信じていたといいます。
「それしかなかったですから。手に職があるわけではない。やりたいと思うものもなかった。自分には本当に演技しかなかったんです」
インタビューでは、最後にこうも語っていました。
「何より目の前のことを一生懸命やっていくのみです。それこそ1作1作が、オーディションのつもりで」
不器用さは、むしろ成功の要因だったのです。ネガティブに思えることが、実はポジティブなことだったりする。遠藤さんからの貴重な学びです。
連載:上阪徹の名言百出
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