クレイトン・クリステンセンの遺訓
07年創業のローズ・パーク・アドバイザーズの投資戦略はいたってシンプルで、クリステンセン家と友人たちの資金をクレイトン・クリステンセンのリサーチ結果に合致した企業に投資するというもの。
クレイトンはユタ州ソルトレイクシティに生まれ、「ローズ・パーク」地区で育った。ブリガムヤング大学を卒業後、ローズ奨学生としてオックスフォード大学で学び、ハーバードビジネススクールでMBAを取得。ボストン・コンサルティング・グループでの勤務を経て、MITの教授たちと共同で材料分野のスタートアップや公共政策のシンクタンクを設立し、最終的に学者の道に進んだ。1997年の著作『イノベーションのジレンマ』(邦訳、翔泳社刊)は起業家世代に大きな影響を与える手引き書となり、2011年にはフォーブス誌の表紙を飾った。
投資家と経営者が企業をふるいにかけ、クレイトンが潜在的な「破壊的イノベーター」企業を選び出す。さらに一連の流れに沿って、息子のマシューとともに、設定した基準に合致した企業に投資していった。マシューと4人の弟妹はそれ以前からリサーチや著書の編集で父を手伝っていたという。
クリステンセン親子はローズ・パークを従来のベンチャーファンドではなく継続的投資を行うエバーグリーンファンドとして運用することで、上場企業にも非上場企業にも投資できるようにした。そのためローズ・パークのポートフォリオには、ネットフリックスやセールスフォース、ハイアービューやサークルアップといったスタートアップ、クーパンやドキュサインなど上場後の企業まで含まれている。
「どんな地域、どんな業種、どんな成長ステージであれ、投資の根拠が父のリサーチに当てはまってさえいれば、投資してもよいことになっています」
そうマシューは言う。彼によれば、キムが雑誌のベンチャー事業で執筆者を取りまとめたり、ビジネス上の問題に対処したりした経験は、クレイトン・クリステンセンの経営者を評価する基準のひとつである確固とした「経験という学び」に該当していたという。
「マーケットプレイス型から小売りへの移行には、手品のような手法や、死に物狂いの努力、常識を超えた考え方、独創性が必要でした」(マシュー)
20年1月にクレイトンが死去してから、マシューは唯一のパートナーとしてローズ・パークを運営している。創業当初は唯一の支援者だった家族もマシューを支えてくれた。ローズ・パークの、ベンチャーキャピタルとしては異例な仕組みのおかげで、クーパンに投資してからの11年間、株式売却圧力を遠ざけておくことができた。マシューには当面、保有株を売却する意志はなさそうだ。