メディアラボ的なものの限界とその先
実用的な製品を開発するわけでもなく、派手なデモで「ハイテク・ディズニーランド」とテレビや雑誌に面白おかしく取り上げられるメディアラボに対しては、眉を顰める研究者もいたが、この成功にインスパイアされたメディアラボを名乗る組織が、米国内ばかりかヨーロッパにも作られ、一時は日本大学が千葉県の佐倉に分校を作る計画もあった。
メディアラボができて数年すると、パソコンも普及をし始め、当初の計算や文書用から、映像や音も扱えるように進化し、1990年代には「マルチメディア」がブームになり、テレビや映画やMTVのように映像や音楽を扱えるようになってくると、パソコンが単なる小さなコンピューターではなく、従来からの本やテレビやラジオ、映画などに代わる新しいメディアであるとの認識が現実味を持って語られるようになった。
おまけに1995年から本格化し始めたインターネットの普及で、誰もが世界中の情報をマルチメディアで自由に利用できるような環境ができはじめ、メディアラボが未来像として描いていたデモは、誰でもが自宅で体験できるようになっていった。
そうなると、デモを通した新しいアイデアを通して未来を発明していくという、メディアラボの研究の独自性が見えなくなってきて、次第にその存在がはっきりしなくなっていった。その後に電子ペーパー(E Ink)やバイオ関係の開発なども進み、開発途上国向けに100ドルパソコンを普及させるプロジェクトも始まり、2010年には新しいビルも完成して規模は拡大するものの、特に世界を驚かすような独自性のある研究は出てこなくなった。
メディアラボに対する評価はいまでも定まらないが、ネグロポンテ教授は「これは一つの新しい時代を拓くための運動で、戦後に話題となったサイバネティクスのようなものだと考えてほしい」と言っている。
サイバネティクスは、MITのノーバート・ウィナーが提唱した制御理論で、高度化した兵器や電子機器と人間が一体となって新しい文明を作ろうとするものだったが、メディラボもサイバネティクスやAIのように、新しい考え方の枠組みを提唱したかったと言うのだ。
コンピューターをただの計算機でなく、人間の脳を中心とした表現活動を拡張するメディアだと位置づけて世に問ったことは、まさにこうしたパラダイム転換を宣言した画期的な試みとしてもっと評価されるべきだろう。
2011年には日本人の伊藤穰一所長が誕生したが、少女虐待をしたエプスタインからの資金提供を受けて辞任するという事態となり、今年7月からはNASAからデイヴァ・ニューマン所長を迎えて、女性や宇宙という新しい分野での研究が展開すると考えられている。
メディアラボは戦後の復興や繁栄期以降の、本格的な情報社会の幕開けにユニークな役割を果たしたが、36年経った現在、それを超える研究を主導しているのはGAFAや宇宙にも積極的なイーロン・マスクのような企業を中心とした勢力だろう。それらの企業にもメディアラボを卒業したり影響を受けたりした人材が多くいるに違いないが、すでに研究の最前線は大学というより、市場と向き合っているビジネスの現場に移行しているのかもしれない。
またエプスタインの資金提供に鈍感だったデジタル系の研究者のコミュニティーは、まだまだ男性が多く、優秀な研究者が女性差別発言をして問題になっている。もともと冷戦時代に白黒をつける兵器研究にもルーツを持つコンピューター研究は、知らぬ間にボーイズクラブとなって、やっとジェンダーバイアスをどう脱するのかが論議され始めた。
ネット時代は、権威主義的になりやすかったコンピューター中心主義を脱し、人々や情報の結びつきを基本にした新しいメディアを構築しつつある。現在のSNSなどの先にある、人類全体の次のメディアを構想する、新メディアラボはどこにできるのだろうか?
MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ(Photo by Craig F. Walker/The Boston Globe via Getty Images)
連載:人々はテレビを必要としないだろう
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