村上春樹の小説が原作。映画「ドライブ・マイ・カー」が描く不信のとき

妻を失った男を通して描かれるのは、人間関係の危うさだ(c)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会


2018年には初めての商業映画「寝ても覚めても」が第71回のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。この作品は柴崎友香の小説を原作としたものだが、オリジナル脚本で作品を発表してきた滝口監督にとっては同じく原作ものである「ドライブ・マイ・カー」にもつながる挑戦でもあった。

また、濱口監督は、昨年の第77回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した黒沢清監督の「スパイの妻」では、初期段階から脚本づくりに参加。東京藝術大学大学院で師事した黒沢監督と強力な師弟タッグを組んだ。

濱口監督はこれまで自身がつくり上げてきた作品では一貫して人間関係の危うさについて描いてきた。登場人物たちの関係性を丹念に描写し、心理の襞(ひだ)まで映し出す巧みな映像でそれを表現してきた。「ドライブ・マイ・カー」でも見事に貫かれている。

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(c)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

「言葉を使っているから、コミュニケーションができていると思ったら大間違いということはありますよね。むしろ、言葉がコミュニケーションを邪魔しているという側面はたくさんあるのではないでしょうか。言葉によって、情報をやり取りして、細分化していくことはできるけれど、それによって見えなくなっていることがあると、実生活で感じています」

カンヌ国際映画祭の記者会見ではこのように語った濱口監督だが、「ドライブ・マイ・カー」では、妻への不信を抱いた主人公がそれを乗り越えていく過程が描かれていく。これは個人的な感想だが、劇中に登場する主人公の愛車である赤いサーブが、真実を何も語らずに死んでしまった妻の分身のように思えてくる。

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(c)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

人間関係の危うさや不信は、実は原作者の村上春樹も自身の作品のなかで描いてきたテーマだ。人間は互いを理解し合えないものだ、しかしその関係性から目を背けることはできない。成し得ない相互理解のために生きていくこと、それが人間に与えられた宿命だ。濱口監督の作品からも感じとることだ。

濱口監督によれば、「ドライブ・マイ・カー」を映画化するにあたり、最初にプロットを書いて手紙とともに村上氏に渡したそうだが、その時は特にリアクションはなかったという。とりあえず制作の許可が降りたので、前述のように別の作品のモチーフも使用したいとお願いしたところ、今度は本人から快諾を得たとのこと。

原作者は、響き合うものを濱口監督のなかに感じたのかもしれないと推察する。

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(c)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 8/20(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

デビュー作の「風の歌を聴け」(1979年)以来、村上春樹の小説は何度か映像化されてきた。本人からの許可がなかなか降りないのか、その著作数に比べて映画化作品は少ないのだが、間違いなく今回の「ドライブ・マイ・カー」は、そのなかではベストに入るものだと考えられる。それは、両者が表現しようとしているテーマに相通ずるものがあるからかもしれない(かなり親和性は高い)。

濱口竜介監督には、ぜひまた村上春樹作品を原作とした映画を撮ってもらいたい。

連載:シネマ未来鏡
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文=稲垣伸寿

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