コロナ禍は「観光業」をどう変えたのか? サステナブルツーリズムの未来

白川郷(Daniel Viñé Garcia / Getty Images)

この数カ月の間、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などの発出と解除が繰り返される状態が続いている。10年余りにわたって岐阜県の新しい観光の在り方について取り組んできた私は、その度に、進めていた観光復興策の規模縮小や中止などの対応に迫られ、すっかり忙殺されていた。

そんななかで開催された東京オリンピックだったが、競技が行われた地域だけでなく、地方にもさまざまな影響があったのは言うまでもない。例えば、外国人選手の事前合宿の受け入れが予定されていた地域では、私の住む岐阜県も例外ではなく、ギリギリまで選手の来日が可能か否かの情報が不確かだった。

そのため、同時通訳者である私の知人は、なんと受け入れ予定日の前日に、2週間もホテルに滞在して外国人選手の通訳業務に当たるという依頼が来たという(しかも、その2週間はコロナ対策もあり、通訳者もまたホテルに缶詰状態という条件だった)。

またその際、オリンピック委員会が提供した外国人選手向けの滞在中のハンドブックがあまりにラフな内容だったので、地域の事情にあわせた膨大な書き直しの翻訳業務にも携わり、突然の大忙しになってしまったとのことだった。

そんなわけで、知人は最初はかなりハードな心持ちだったようだ。しかし、2週間の通訳業務が終わり、担当した外国人選手たちがオリンピックで活躍する姿をテレビ観戦するなかで、岐阜に滞在中、コロナ陽性の疑いで(実際は陽性ではなかったのだが)練習にも行けずホテルに隔離された選手とのやり取りや、オンラインで地域の子どもたちと交流する選手の通訳を行ったことなど、1人1人の思い出と重ねられ、自分はなんと貴重な交流体験をしたのかと感慨深かったそうだ。

この話を聞いて、私が目指すサステナブルツーリズムにも通じる体験だと思った。人生を懸けて真剣に頑張っている人との出会いや交流は、旅の忘れられない思い出となる。刹那的な時間消費型の観光ではなく、未来につながる持続可能な観光には、真摯に生きる人との出会いや交流が欠かせないのだ。

コロナ禍で明らかになった観光業のマネタイズ


昨年のコロナ禍以来、とくに東京オリンピックの開催を目指したゆえの(いまはそう断言してよいと考えているが)政府の緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などの影響により、観光業界では、1人勝ちした人たちと、生業の存続や死活問題に直面せざるをえない人たちとの間で、明暗がくっきり分かれたといっても過言ではない。例えば、個人旅行向けの小規模な高級旅館には客が集まり、その一方、大宴会場などを有する中規模ホテルや、元々の資本力が乏しい小規模事業者の状況は厳しさを増している。

観光業界に携わる私としては、コロナ禍で人が動けない時期だからこそ、地域資源の磨き上げによる観光資源化で、収束後の持続可能な観光地づくりに向けた取り組みを進めていたのだが、それができるのはまだ余力のある人たちであり、次第にそれらの事業に携わっていられないほど逼迫した観光事業者の方々への対応業務にも追われるようになっていった。
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文=古田菜穂子

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