安定の「ひとり」から波乱の恋へ。アラサー女性が自意識の檻を抜け出すまで


だが易々と恋に落ちることのできないこの臆病さ、あるいは恋することへの腰の重さには、逆に今の一般的な若い男女のリアリティも感じられる。1人の方が楽に決まっているのだ。相手がいるということは、その分、何が起きるかわからない不安定要素を抱え込むことなのだから。

やっと思い切って夕食に多田を招いたみつ子は、ひさしぶりに他人とおしゃべりに興じる楽しさを存分に味わう。ここで多田がお土産に買ってくるのは出会いのきっかけとなったコロッケであり、みつ子が用意したのはかき揚げだ。そして遡れば、冒頭の食品サンプル作り体験講座でみつ子がつくるのは、エビの天ぷら。いずれも揚げ物である。

冷たいフェイクである最初のエビの天ぷらは過去の凍結された恋であり、多田が持ってきたコロッケは恋の芽生え、みつ子の作ったかき揚げは、ベタだけれども彼女の恋心だろう。

揚げたてのそれを美味しそうに食べる多田が、みつ子に敬語を注意されて、ぎこちなくタメ口を使う場面はほほえましい。

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多田(林遣都)とみつ子は次第に距離を縮めていく(Getty Images)

料理をせず外食ばかりの男性が、料理好きな女性の手料理をご馳走になる、なんて恋のはじまりは、今時古臭いと思う人もいるかもしれない。

しかしみつ子が料理好きであることをたまたま知った多田にしてみれば、なんとかそれを会うチャンスにつなげたいと考えたのだろうし、みつ子もおかずを分けてあげるだけということで、そんなに気負わず承諾できたのだろう。

普通なら相当親しくなってから手料理を振る舞うという展開になりそうなところが、逆さまになっている点が面白い。

「変わらなきゃ」という意思


多田との交際が本格的に始まる前に、2つの出来事が挿入されている。1つは、みつ子が上司からもらったチケットで、1人で参加した温泉ツアー。赤の他人の中でも平気で楽しむみつ子だったが、余興で来た女芸人にセクハラする客の男たちに、心の中で盛大にキレる。ここで吐き出される黒々とした彼女の内面は、過去のトラウマを思わせる激しさだ。

もう1つは、結婚してローマに住む親友、皐月(橋本愛)に会いに行くくだり。イタリア人の賑やかな家族に囲まれて幸せそうな皐月は、みつ子にとっては先に未来に行ってしまった人である。みつ子の抱えていた小さなわだかまりは、皐月なりの苦しみを知り、久しぶりの語らいの中でじんわりと氷解していく。

多田との交際を前に、過去の恋愛を吹っ切り、大嫌いな飛行機に乗って親友と再会し一山超える。この2つの成就から、みつ子の中の「変わらなきゃ」という意思が伝わってくる。

もう1つ、サイドストーリー的に展開するのが、会社の先輩ノゾミの恋だ。お局様の雰囲気をまといつつも、よく喋る人の良い彼女は、イケメンだがナルシストで空気の読めない片桐に片想いしている。

東京タワーを徒歩で登るイベントで、あらゆる場面を想定したものらしい大きなバッグを背負ったノゾミが、片桐に見せる身も蓋もない一途さはちょっとせつない。反面、当たって砕けろ的なその強さは、どっちに転ぶかわからない不安定さを避けて生きてきたみつ子にはないものだ。

やっと多田からの「お付き合いしたい」を受けて高揚するみつ子だが、アクシデントから泊まることになるホテルで、パニックになりAに助けを求める。

彼女の妄想シーンでAが意外な姿を現す場面は一番の山場だが、かなりユルい雰囲気なのが、いかにもみつ子らしい。

Aという自分の半身と別れることで、他人にきちんと向き合うことができたみつ子。頼りにしていたものを手放し、不安と面倒くささを乗り越えて、やっと新しい関係が始まるのだ。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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