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2021.08.14 17:00

爪、飴玉、遅筆──残された「症状」から、精神科医が向田邦子を診断したら

(『向田邦子 その美と暮らし』 2011年、和樂ムックより、撮影:小出将則)


類いまれな記憶力、そしてこだわり


ページを繰る前に、なぜ太宰治か分かった方は、文学通だろう。
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「待つ身が辛いかね、待たせる身がつらいかね」──借金騒動で返済を迫る畏友檀一雄に漏らしたこの言葉から、名作『走れメロス』が生まれたとされるが、巷間で言われるように太宰の金や酒のだらしなさが原因ではない。いつも、ぎりぎりまで引き延ばせざるを得ない彼のADH気質ゆえと考える。これは私の独断ではなく、医師の富永國比古も著書『太宰治ADHD説』で、作品の特徴から太宰を発達障害系とする考えを展開している。

ADH(D) とAS(D)は混在するのがむしろ普通と本田教授の指摘するように、太宰にはASD的要因としての類いまれな記憶力とこだわりがあった。この点は向田邦子とも一致する部分だ(ついでにいえば、私にもある程度当てはまる)。


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私の好きな向田エッセイのひとつが「手袋をさがす」(『夜中の薔薇』所収)。

まだ冷暖房の整わない戦後間もなくの時分。22歳の彼女はひと冬を手袋なしで過ごした。「気に入ったのが見つからなかったから」と振り返る導入、見かねた上司が「君のいまやっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかもしれないねえ」と忠告する展開は間然とするところがない。「私は何をしたいのか。私は何に向いているのか」と自問するのは若者にありがちだが、白眉はその次にある。

「そして──私は決めたのです。反省するのを止めにしよう──と。」

お座なりの反省をしないと決め、3カ月分の給料をつぎ込んでアメリカ製水着を買った邦子。そのこだわりはASの表れと解釈しても構わないように思える。

邦子の弟保雄は著書『姉貴の尻尾 向田邦子の想い出』で、こう回顧する。

「姉は小さい頃からお転婆で好奇心旺盛なタチだったので、子どもの頃からよく冒険はした」

邦子は39歳の年、初めての海外旅行でタイ、カンボジアを回った。翌年父が急逝すると、42歳で作家澤地久枝と世界一周旅行に出発。その後、乳がんを患い、エッセイをものし、赤坂で小料理屋「ままや」を妹和子と始めた。

50歳の年、小学生時代を過ごした鹿児島と、向田家のルーツ探しに能登半島を訪れ、ケニアに旅立った。翌年は北アフリカに行き、月刊誌に連載中の短編連作で直木賞を取った。その翌年、ニューヨーク、ベルギー、ブラジル旅行。8月、四国霊場巡りをしたあと、台湾へ取材旅行に出発。22日、台北から高雄に移動中、飛行機が墜ちた。

「花ひらき 花香る 花こぼれ なお薫る」──邦子がシナリオを書いたラジオドラマの俳優森繁久彌による追悼句が、多磨霊園の邦子の墓を飾る。好奇心の塊だった“ADHムコウダ・クニコ”の文章が行間から立ち昇るようだ。

連載:記者のち精神科医が照らす「心/身」の境界
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文=小出将則

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