こうなると、従来は悪人とされてきた仙台藩の家老、原田甲斐を忠臣として描いた山本周五郎の名作『樅ノ木は残った』のような作品は許されないことになる。韓国では極悪人扱いされている豊臣秀吉も、日本では色々な作品で英傑扱いされたり、悪人扱いされたりと忙しい。でも、色々な解釈があった方が楽しいし、その解釈の背景にある歴史事実の断片を探ることにもなって面白い。「王の願い」は、その意味で韓国映画の底辺を広げたという評価を受けるに値する作品だろう。
最近、『反日種族主義』の著者の一人、李栄薫元ソウル大教授に話を聞く機会があった。この著作も映画と同じ時期の2019年7月に出版され、やはり、韓国内で「韓民族をおとしめる内容だ」などと激しい批判にさらされた。李さんは1990年代初めから、日本の統治時代に韓国経済が発展したという事実もあることなどを主張し、「韓民族を侮辱している」と怒る韓国の人々から袋だたきに遭った。
どこの国でも、祖国を批判するような発言ははばかれる。一つ間違うと「非国民」だとののしられる。李さんの立派なところは、周りから轟々たる非難を浴びながら、「事実は事実として伝える必要がある」という学者としての信念を曲げなかったところだ。これは誰にでもできることではない。
「王の願い」を描いたチョ監督も「世宗大王が偉大だということは、誰もが知っている。だから、プライドを主張するような映画をつくるのは面白くないと思った」と話す。別の見方をすれば、へそ曲がりなのかもしれないが、映画人としての前向きな姿勢はもっと支持されても良いのではないか。
韓国でかつて大ヒットしたドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」も、史実に基づかないフィクションだとされた。でも、韓国の人々にも、世宗大王のような評価が定まった人物が出てこないからか、史実に反しているかどうかといった論争は起きなかった。
「王の願い」がきっかけになって、韓国の史劇を扱った映画やドラマがもっと面白くなれば、韓流文化は更に高い評価を受けることになるのではないか。
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