11人に1人が乳がんになる時代。「絶対無理」と言われていたピンクリボン運動が広がるまで

北風祐子さん(左)と中西知子さん(右)


──ところで、中西さんが2002年にピンクリボンキャンペーンを立ち上げたのは、何がきっかけだったでしょうか?

中西:2001年頃に日本で初めてブレストケア(乳がん患者の支援)のイベントが計画された際に、知人を介して日本の乳がん事情を初めて聞いたことがきっかけです。


中西知子さん

そのときに、「30人に1人の女性が乳がんになる(現在は11人に1人)」「早期発見での治癒率が90%以上にもかかわらず、発見できず命を失う女性が年間1万人超」「40代の働き盛りや子育て中に発症する方が多い」という事実を知り、自分自身の無知に大きなショックを受けました。

詳しい事情を知るべく日本最大の乳がん患者会を訪ねると、さらに衝撃的な話を耳にしました。乳がんの早期発見を啓発する企業や団体はごくわずかの状況下、乳がん経験者が自ら立ち上がり、母の日にティッシュ配りをして乳がん検診を呼びかけているというのです。

会の代表の方に「「あなたのような(メディアの)人を待っていた」「早期発見の大切さを伝えて」と背中を押され、メディアの人間として強い使命感を持つようになりました。

北風:そこからどのようにキャンペーンを立ち上げていったのですか。

中西:活動に共感してくれそうな企業をいくつか回ると、少なくない企業が前向きな姿勢を示してくださいました。しかし、「企業PRのようにとらえられてしまう恐れがある」「デリケートな問題でどう展開していいかわからない」など、1社ではなかなか踏み出しにくい事情も抱えていました。

そこで、同じ問題意識を抱えていた約10社の異業種企業を集めて開催したのが、今、私が事業として手がけている「ビジョン会議」です。(※プロジェクトや企業などのミッション、ビジョンなどの策定をゴールとする会議)

この会議で「あなたの笑顔のために〜私たちは乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを伝えます」という活動のミッションを決定し、さまざまな企業や団体とのコラボレーションしたキャンペーンを展開した結果、賛同企業は最終的に100社ほどに拡大。特にヤフーとの連携は大きなインパクトとなり、認知は一気に広がりました。
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文=一本麻衣 写真=小田駿一

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