ただ一日一日を精一杯生きるだけ
久しぶりの智子は、頭の形がはっきりわかるほどのベリーショートだった。そこまで短くしたのは見たことがなかったが、とても似合っていた。「切ったね! すごく似合ってる!」と言うと、彼女は、「びっくりさせるつもりはないんだけど……」と切り出した。この1年、乳がんと闘っていたというのだ。
ショックで言葉の出ない私を前に、智子は、「これは運だから仕方ない。あと5年生きるか、10年生きるかわからない。ただ一日一日を精一杯生きるだけ」と、にこやかに話し続けた。
昔と変わらぬその笑顔に、静かで強い意志の力を感じた。いろいろな思いを飲み込んで、自分から笑う。誰にでもできることではない。と、そのときはそんなのんきなことを感じていた。
が、自分も乳がんになった今では、智子の「ただ一日一日を精一杯生きるだけ」という言葉の強さと重さが痛いほどわかる。
「早期じゃなかったんだけどね。ほら、私、胸大きいから、ちょっとぐらい取っちゃっても何も変わらないのよ」
たんぽぽの種に例えた、がんの微小転移
そこで私は、自分の心配をそのまま声に出して、「取っちゃえば治るの?」と質問してしまった。
今から思えば、なんという不躾な質問をしてしまったのだろう。智子は、一瞬寂しそうな顔をしてから、穏やかに答えてくれた。
「よくね、たんぽぽの種にたとえられるんだけど、乳がんは、早い段階から体の中をめぐっちゃうの。たんぽぽの種のように飛んでしまう。だから、一か所切れば終わりってわけじゃないの」
このときは意味がよくわからなかったが、飛んでしまったたんぽぽの種は、「がんの微小転移」を指すのだ。遠くの土地に飛んでいき、芽を出して花を咲かせるまでは見つけることができない微小転移。微小転移を伴う可能性が高い場合は、一か所切れば終わり、とはいかず、術後の薬物療法が必要になる。
智子のベリーショートも、切ったのではなく、抗がん剤で抜けたあとに生えてきたスタイルだったのだ。