創造力には少々のいいかげんさが必要になる。何もかもきっちりとしていたら、実験の余地は生まれない。コストを徹底的に抑えつけていれば、新しいことや新しいやり方を試すのに使えるお金はない。日々の業務を詰め込みすぎていれば、考えるための時間を容易に確保できない。実験をする余裕を生むには、少々の弛緩がどうしても必要になるのだ。
ドイツの中小企業は「ミッテルシュタント」と呼ばれ、価格競争に反発していることで知られる。彼らは価格を高い状態に保ち、自分たちが得た利鞘を投資にまわすことで、テクノロジーの面で業界を牽引している。
日本は輸出分野では価格競争を挑んでいるが、国内市場では非価格競争を展開し、1990年代あたりまでアメリカの4倍のペースで成長を遂げていた。
こうしてみると、「競争力のある価格が市場での成功を支配する」というのは間違いであるとわかる。価格自体を下げすぎると、いずれ競争から脱落しかねない。
経済史の研究者として初めてノーベル経済学賞に輝いたダグラス・ノースは、受賞記念講演で「長期的な成長のカギを握るのは、配分効率ではなく適応効率である」と語った。
彼が適応効率と呼ぶものは、シュンペーター的効率と同義だ。長い目で見ると、シュンペーターがスミスに勝る。品質は価格よりも重要となりうるものだからだ。ただし、品質を構築するには最初にお金がかかる。
◆効率の追求にはバランスが重要
この3つの効率のバランスがうまくとれた状態を見つけることは、企業経営者の重要な任務のひとつだが、政府にとっても重要な任務である。税や独占に関する法律を制定したり、規制を敷いたりすることで、バランスを変えればいい。
スミス的効率である配分効率だけにとらわれていては、物価は下がるものの低成長と高失業が続き、最終的にはその結果として生み出せなかったもののツケを払わざるをえなくなり、価格が上昇する。スミス的効率にかかるコストがそれによって生まれる利益を上回らない場合は、それに対抗する仕組みが市場に必要になる。
労働市場を例にあげよう。市場に任せきりにすると、スミス的効率によって賃金や労働者の数は減り、不平等が増す。さらに悪いことに、スミス的効率を競い合えば、状況の改善に必要となる研修や再教育に使える余剰資金が残らない。競争力が低い人は取り残されて、さらに競争力が低くなる。
最低所得者層の息の根を永遠に止めたくないなら、最低賃金の設定、学習のための資金の確保、労働組合の強化、研修のための支出の義務づけなど、緩衝材となる何かが必要だ。昔からの喩えにもあるように、「ブレーキがあるから車は速く走れる」のだ。
3つの効率に優劣はない。そして、3つとも現実の問題に直結している。
需要を高めたければ、たとえスミス的効率に反することになっても、まずは就労人口を増やすことで需要を刺激する必要があるだろう。その結果として、コストが増えることを避ける方法は2つ。障壁を設けて他国の競合から産業を守るか、公共事業など経済の非競争部門に限定して刺激策を講じるかのどちらかだ。
新しいテクノロジーへの投資を刺激するには、投資家に対する多額の配当に課税する、あるいは多額の配当を禁じるといった措置が必要になるかもしれない。カトナーの分析によると、そうした策の提案は必ずしも正論の否定にはならないという。