◆闇雲な効率追求の後始末は社会に担わされる
日本の製造業者が考案したジャスト・イン・タイムというシステムにより、在庫にかかるコストが減少した。このシステムを使うと、工場へ部品を運ぶ配送トラックが実質的な倉庫になる。
だが、そのトラックが原因で都市部周辺の高速道路が渋滞するようになり、市井の人々の生活に支障をきたしたため、公金を投じて道路の拡幅や整備が必要になった。製造業者は彼らの改善にかかったコストを国民に押しつけたのだ。
入院患者を退院させる時期を早めれば病院の効率は上がるが、退院した患者の面倒を誰かが自宅でみなければならない。
企業は社員の労働時間や業務内容を増やすことができるし、実際にそうしている企業もあるが、それで社内の効率が改善したとしても、ストレスを抱えたりプライベートの人間関係に亀裂が生じたりといった問題が数え切れないほど生じる。
優秀な子供だけを選別して入学させれば、学校の業績は改善されるが、選に漏れた子供たちの教育を誰かが引き受けねばならないし、教育を受けなかった低所得者層が置かれる状況に誰かが対処しなければならない。
あらゆる開発費の類いを切り捨てて人員を減らせば、誰だって短期的に利益を増やすことはできる。だが、そうしたものの影響を被る人々が払うコストは誰も計算に入れない。
理論上では、何かを生み出すうえで生じたコストは、それを発生させた人にさかのぼって請求することができる。環境汚染をはじめ人々が抱えるストレスや失業については、企業に請求書を送ればいい。病人の面倒をみている地域や家庭は、かかった費用を病院に求めればいいし、子供を選別して入学させている学校には、受け入れなかった子供たちの教育に貢献するように要請すればいい。
だがもちろん、現実にそういうことは起こらない。効率を算出する対象は限定的だ。地域や部署といった特定の集団の経済活動に絞られるため、期せずして生まれたコストの尻拭いは社会全体に押しつけられる。
こうしたコストに対し、経済成長の恩恵を受けるために必要な代償だと考える人もいるだろう。
だが、効率の向上にかかるありとあらゆるコストと、効率向上によるメリットを対比させることはできない。効率向上のための負担が深刻な害をもたらさない限り、どの集団も周囲への影響を顧みずに効率化を優先させる。個々人による自己の利益の追求が、最終的に全体に利をもたらすことを期待したいが、その道のりは平坦ではない。
ずいぶん昔にアダム・スミスが指摘したように、周囲に自らの利己性を許容してもらいたいなら、スミスが呼ぶところの「共感」でもって利己性との釣り合いをとる必要がある。だがあいにく、共感を効率に換算する方法は存在しない。
『THE HUNGRY SPIRIT これからの生き方と働き方』チャールズ・ハンディ/著
チャールズ・ハンディ◎イギリスのピーター・ドラッカーと称される、欧州を代表する経営哲学者。世界の経営思想家ランキング「Thinkers 50」のLifetime Achievement Award(生涯功労賞)をヘンリー・ミンツバーグ、マイケル・ポーターに先駆けて受賞した。研究者としての主要テーマは、行動科学の企業経営への適用、経営の変革や組織構造、生涯学習の理論と実践。