イギリスのピーター・ドラッカーと称される、欧州を代表する経営哲学者、チャールズ・ハンディだ。彼の普遍的な人生哲学をまとめた『THE HUNGRY SPIRIT これからの生き方と働き方』より、資本主義社会においてバランスを取るべき“3つの効率”について紹介する。
※本稿は『THE HUNGRY SPIRIT これからの生き方と働き方』(かんき出版)より一部抜粋・編集したものです
◆3つの効率のどれを重視すべきか?
「効率」が意味するものは必ずしもひとつではない。
経済ジャーナリストのロバート・カトナーは、著書『すべて売り物:市場の美徳と限界(Everythingfor Sale: The Virtues and Limits of Markets)』(未邦訳)で効率には3種類あると述べている。彼はその3つを、影響力は大きいがまったく異なる3人の経済学者の名前をとって、「スミス的効率」「ケインズ的効率」「シュンペーター的効率」と名づけた。
「効率」の議論というと、たいていは価格が持ち出され、適切なものが、適切な場所で、適切なコストで生産されているかという話になる。これがアダム・スミス的効率であり、われわれにもっとも馴染みが深いものだ。
それとは別に、ケインズ的効率というものもある。こちらは雇用のポテンシャルを十分に生かせなかったときに生じうる経済的な損失に焦点をあてている。この視点に立つと、スミス的効率が上がっても意味がない。それどころか、害をなす恐れもある。局地的な効率の向上を求めれば、職を失う人が増えるからだ。
第二次世界大戦時のアメリカでは、スミス的効率の概念はほぼ無視され、なりふり構わず利益を上げることが企業に許された。そしてその結果、4年もしないうちにGDPは50パーセント近く上昇し、20年ぶんの経済成長を強制的に遂げることになった。
経済学者は、スミス的効率とケインズ的効率を対立させたいと考えるが、この2つに本当に必要なのは、両者の共存を認めてくれる概念的な枠組みだ。
ここにシュンペーター的効率を加えると、事態はさらに複雑になる。ヨーゼフ・シュンペーターは、成長の原動力はテクノロジーであると説いたが、それと同時に、テクノロジーへの投資には余分なリソースと長い停滞期が必要になることも明言していた。
スミス的効率を求めすぎると、そういう余白の部分が狭まる。それに、株主は自分の取り分を手にするタイミングは早いに越したことはないと考えるものなので、テクノロジーの発展のために利用できる資金はほとんど残らない。
生産量や購買量を個々に変化させても市場への影響が存在しない競争状態のことを「完全競争」と呼ぶが、完全競争の下では、誰もが費用対効果を高めてより安くしようと競い合うので、たがいに自滅しかねない。潤沢な資金がなければ、自分の分野で頭ひとつ抜けることは難しい。
創造性という観点に立つと、職場にはシュンペーター的効率が存在すると誰もが思いいたるのではないか。