もう一人、紹介しましょう。昨年、ファッション史を専門とする友人と、サステナブルファッションをテーマに「ファッションフォワード」というファッションとラグジュアリーを専門とするシンクタンクを米東海岸でスタートさせたサーラ・エミリア・ベルナです。
サステナブルと言うと、往々にして環境問題の面ばかりが強調されますが、彼女たちは社会的にインクルーシブ(包摂的)であるかどうかもその一要素だと考え、社会的責任を果たすラグジュアリーのあり方を探っています。1人1人に敬意を表することもなく地球環境をケアできるはずもない。そう考えるのでしょう。
ファッションフォワードのサーラ・エミリア・ベルナ(本人提供)
ベルナはハンガリーのブタペスト生まれ。18歳のときからパリを拠点にモデルとして働きはじめ、フランスやイタリアのメゾンのショーだけでなく、化粧品や高級車、世界各国の雑誌「ヴォーグ」などさまざまなシーンで活躍。仕事のために高級リゾートにも頻繁に滞在しました。
そうしてラグジュアリーの演出に一役買う経験をしたのち、パリの大学に入り、心理学を学びます。父親が劇作家、母親が舞台女優との家庭に育ったので、モデルとして働きながらも知的な環境が自分の棲み処であると意識していたようです。その後、複数の大学の修士課程でブランド論やデザインを勉強し、ベルリンのフンボルト大学で社会学を学び、「社会的緊張につけこむ:グローバルラグジュアリー産業の社会的・文化的・経済的な含意」との論文で博士号を取得。米国で起業するに至ります。
博士課程に進む時のベルナの関心は、「どのようにラグジュアリーのブランドを作るか?」ではなく、「なぜ地域によってこんなにも違った行動をとり、それぞれ違ったものをラグジュアリーと認知するのか? また、それが時の移ろいと共に、ラグジュアリーとされるものが変化するのはなぜか?」でした。
「この数年前ほど顕著になってきたラグジュアリーの潮流は、細分化されたラグジュアリーが多数存在することだ」と語る彼女に、ぼくは「多数のラグジュアリー」をイメージする画像をいくつか挙げてくれないかと頼んでみたところ、以下のような写真が届きました。
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イメージを言葉で表現するのも無粋ですが、「カオスにある調和」と「乱れるもの(または、乱すもの)」の両方が入っているとぼくは思いました。あるいは「多様な顔をもつ」「過剰に走らない」「焦点を曖昧にする」とのキーコンセプトもあるでしょう。
ただ、一つここから断言できることがあります。マーケティング系の研究者たちが分析して提示したラグジュアリーの定義など、これら新しいラグジュアリーのあり方を理解するのにほとんど役に立たないだろうということです。
ベルナが社会学を学んだのは、ラグジュアリーに“社会的集団のなかでのステイタス表示”という性格があり、社会の変化とラグジュアリーが密接な関係をもつから。それは博士論文のタイトルにもあるように、文化への深い関心の表れです。ベルナ以外にもラグジュアリーをリサーチしている女性たちに話を聞くと、みな、ビジネスに関わりながらも数値的なマーケティングだけには飽き足らず、ラグジュアリーの文化的ロジックに殊の外、興味を示しています。
彼女たちは、新しいラグジュアリーコンセプトの担い手であると自任しています。冒頭で紹介した、「そう、買い手だけではなく、作り手も若い女性よ」というのは、中国だけでなく世界各地での潮流だと感じています。
さて、この領域に関して日本ではどうでしょうか。中野さん、日本での傾向、また日本特有の現象などを教えてください。