ライフスタイル

2021.02.14 12:00

ハリウッドを虜にした「いすゞ・ビークロス」。デザインよ、もっと自由であれ!

当時、誰もが振り向いたビークロスのデザインは、今もまったく色褪せない


しかし、中村氏と話をしていくうちに、30年前の、デザインにとって「自由な時代の事実」が明らかになった。具体的に言えば、80年代後半から90年代前半は黄金期と呼べるだろう。つまり、バブル時代の頂点だったね。「あの頃はとっても自由な発想ができました。どんなに変わったコンセプトカーを考え出しても、デザイン部長は、好きにさせてくれましたので、デザインの承認を得るのも楽でした。そのおかげで他の日本のカーメーカーでは絶対できないようなコンセプトが作れました。今から振り返ってみると、当時のコンセプトカーは全ていすゞのはっきりしたデザイン・ランゲージを持っていましたね」と振り返る。
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正直言って、80年代から90年代初頭まで、いすゞはとんでもないコンセプトカーを次々出した。80年代には販売力が良かったので、開発費はたっぷり溜まっていたという。パリーダカーラリーに出られるような4気筒ターボ付きの「COA-IIIコンセプト」は1987年にデビューしたし、1989年の東京モーターショーにデビューしたV8搭載の「4200R」スーパーカーは業界を騒がせた。しかし、1991年に登場した「COMO コンセプト」こそは、それまでのいすゞの最も驚異的な車両だった。当時、F1参戦も検討していた同社は、V12エンジンを作って宇宙船みたいなコンセプトに挑んだ。

4200R
いすゞ4200R/ポリフォニ・デジタル「グランツーリスモ」より。写真協力:Polyphony Digital

はっきり言って、映画「ミッション・トゥ・マーズ」が、あの当時、いすゞのどのコンセプトカーを使っても、かなりの近未来的なデザインの要素はあったと思う。4気筒ターボ、V8エンジン、V12エンジンというパワープラントだけではなく、デザインも10年先をいっていたので、いすゞ車はその一作のみならず、他の映画にも登場できたと思う。「僕の30年前のデザインチームのもとで作った4台のコンセプトカーは、本当に自由にデザインできました。思い残すことはありませんね」と中村氏。しかも、その中の1つは映画にフィーチャーされたことも誇りに思う。それが言えるデザイナーはなかなかいない。
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国際モータージャーナリスト、ピーターライオンの連載
「ライオンのひと吠え」過去記事はこちら>>

文=ピーター・ライオン

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