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2021.02.11

弁護士からショコラティエへ。「変わり種経歴」の父娘で繋ぐ、美食の家財

(c)Jade Genin(ジャド・ジュナン)

繊細さが求められるチョコレートやオートクチュールのパティスリーの世界で名をなすのは簡単なことではない。ましてや女性でとなるとあげられる名前はわずかだ。

だがフランスを代表するトップパティシエ、ジャック・ジュナンの娘ジャドは、自らの名前でそれを成し遂げなければならない。名門校を卒業して弁護士になったジャドだったが、現在、父親の元でショコラティエとしての修行を日々積んでいる。フォトジェニックで人々を虜にするその作品は美食家たちの間でも評判を呼んでいる。フォーブスはジャドに詳しく迫った。


父の経歴もまた変わり種だった


ジャドがキャラメルやキャンディー、チョコレートについて語る口調は、幼い頃に耳にしていた懐かしい子守唄のようになめらかだ。ミレニアム世代のジャドは「成長し続け、停滞しない」ために、弁護士のキャリアを捨ててチョコレート職人の世界へ飛び込んだ。まさに現代っ子である。

この世代には、「日々、意味の探求する」ことは理想的なことと讃美される。つまり、仕事というのは第一に人間が成長するための根本であり、日々幸せに過ごすためのものという捉え方だ。ジャドも同様に自分が「最高の人生」を送っていることに喜びを感じているのだ。

ジャドは弁護士への夢を一旦叶えたのち、温かくも妥協を許さない厳しい父親のジャック・ジュナンのもとで、パティシエとしての道を歩み始めた。新しいチョコレートやケーキを創作しては修正し、作り直して。彼女の父は、そうやって自身が手がける作品を芸術までに高めてきた。


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そのジャックの経歴もまた変わり種だ。料理人としてスタートし、パリ6区に店をオープンさせたものの、自身の興味はショコラやパティスリーへと移った。そして、ラ・メゾン・デュ・ショコラにシェフパティシエとして入る。だがここでショコラティエとしての修行をすることはなかった。独学で学び、数年後、独立して自身のアトリエを開いたところ評判となり、数々の名門ホテルのレストランへ卸すようになった。満を持して現在の北マレに店をオープンしたのは2008年のことだ。

プラザアテネ、クリヨン、トゥールダルジャンといった名だたるホテルやレストランに商品を納入し、マレに開店した店も大成功を収めている。娘のジャドは今、その父親の足跡を追っている。
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翻訳=竹若理衣 編集=石井節子

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