経済・社会

2021.01.06 08:00

民主化とイノベーションは同義。 オードリー・タンが語る台湾の「上翼思考」

台湾のデジタル担当政務委員、オードリー・タン氏。


オードリー:4年前に私が現在のポジションに就任したとき、たくさんのお問合わせメールを頂きました。とりわけ印象的だったのは、香港のテレビ局の記者からもらった「台湾のこれからはどうなるか、あるいはどうなろうと思っていますか」という質問でした。その時の私の答えはこうでした。
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「台湾が位置している場所は、大陸とフィリピンプレートの挟間にあるため、地震がよく起こります。そのため、私たちはいつも物理的にも心理的にも、耐震の準備を整えてきました。

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2018年2月8日、台湾の花蓮で発生したマグニチュード6.4の地震(Getty Images)

玉山(ユイシャン)(※1)という台湾の最高峰は、プレートテクトニクスによって現在も毎年2.5cmずつ高くなっています。地震は多いけれど、そのことで高い山に登り、綺麗な星空を見ることもできるのです。複雑な場所にあるけれど、それによって夢見る力も、環境に対応する力も生まれていくものなのだと思います」

鷲尾:「玉山」は、日本に暮らす私たちにとっても、イメージしやすい例えですね。
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オードリー:台湾は全体主義もしくは専制主義をとる政権の近くで、常に様々なプレッシャーを受けてきました。

台湾の「ソーシャルセクター」、つまり市民や公共の課題を重視している中小企業や団体などの民間の人々は、みんなが一緒になって社会変革を目指してきました。

これは、左翼(レフトウイング)か、右翼(ライトウイング)かという違いや争いを超えて、ともに上を目指す「上翼(アップウイング)」という発想です。

そして、この発想は「クロスセクター」の協働を考えるためヒントになるのではないでしょうか。

921大地震が「ソーシャルセクター」の概念を生んだ


鷲尾:ソーシャルセクターが活性化し、そして「ともに上昇(アップ)していく」というマインドセットが広がっていった契機は、具体的には何だったのでしょうか。

オードリー:その一番大きな要因は、1999年に台湾で起きた「921大地震」(※2)だと思います。

現在のようなソーシャルセクターという概念が生まれたのはその時からです。震災の復興活動を通じて、その力が社会における新たな力として広く認識されていくようになりました。

また同時期に、インターネットを通じて被災地に直接行くことができない人々が社会を支えようとする活動も活発になっていきました。つまり、921大地震をきっかけに、社会変革とデジタル革新が同時に進行したわけですね。

公共空間の改善に携わるコミュニティ、オープンソースソフトウェアのコミュニティなど、もともとは個別に活動していた様々な人々が、この921大地震によって、一緒に経験と力を出し合えることに気づいたわけです。

2014年の「ひまわり学生運動(2014年、台湾史上初めて、市民によって議場が占拠された社会運動)」(※3)でも、こうした精神や経験が活かされていると思います。

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ひまわり学生運動(2014年、台湾史上初めて、市民によって議場が占拠された社会運動。by Getty Images)

(※1)玉山(ユイシャン):台湾のほぼ中央部に位置する山。標高は 3,952m で台湾で最も高く、日本統治時代には、日本の最高峰であった。


(※2)921大地震:台湾時間の1999年9月21日に、台湾中部付近を震源として発生したモーメントマグニチュード7.6の地震。台湾では20世紀で一番大きな地震であった。

(※3)ひまわり学生運動:2014年3月18日、当時の与党国民党が台湾、中国間のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」を立法院の内政委員会で審議終了、本会議送付を強行した。これをきっかけに抗議する学生が立法院本会議場に突入。台湾史上初めて、市民によって議場が占拠された。3週間にわたる議会占拠の後、王金平立法院長の調停を引き出し、4月10日に議場を退去した。(※出展:【全文】オードリー・タン独占インタビュー「モチベーションは、楽しさの最適化
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