2015年に来日してモデル活動を始めると、その美しさと異色の生い立ちから注目を浴び、華々しいデビューをしたかに見えた。だが、彼女はこう言い放つ。「モデルは、私にとって大事な『居場所』に来る手段でしかなかった」と。
その言葉の裏にはどこに行っても「よそ者扱いされる社会」の中で悩みながらも、自分自身と深く向き合ってきた過去があった。
彼女がいま活躍の舞台とする日本社会に生きる人たちに、発信したいメッセージとは──。彼女のルーツと半生を辿り、彼女流の逆境の乗り越え方を紹介したい。
フランス、6歳で初めての「疎外感」
国木田はまず、フランスを「疑いにまみれた国」だと話した。住む人たちは、何事もすぐには信じず、自分の目で確かめてからはじめて受け入れたり、理解したりするそうだ。そんな中で育った彼女は、幼い頃から常に疑問を持って生きてきた。きっかけは、6歳の頃。初めて経験した「疎外感」が深く心に刻まれることになった。
フランスのカトリックスクールの小学校に通っていた頃の経験をこう振り返る。
「出席確認をする時、先生が一人一人の名前を読み上げていました。私の番がきた時、教室中が笑いに包まれました。なぜなら先生が、日本名である私の名前を発音できなかったからです。6歳児にとってショッキングな出来事でした」
周囲の人と異なることが悪いこと。よそ者はバカにされてしまう。あまりにも幼い年齢で、そんな風に思い知らされたのだ。子どもだった彼女はそのことにショックを受け、学校に行くことに抵抗を感じるようになった。
この日を境に、国木田は内向的な性格になり、高校生になるまで一人で過ごす時間が増えたという。好きなことは、一人で絵を描いたり、乗馬をしたりすること。乗馬は今でも趣味のひとつだ。スポーツやゲーム好きだったことから、気づけば友人は男子の方が多かった。子どものころは特にファッションには興味がなかった。
「一人で過ごす時間が多いということは、自分自身にかける時間が増えますよね。おかげで世の中の出来事に対して関心を持ち、自分なりに考えを掘り下げたり、アイデンティティについて考えを深めたりできました」