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2020.10.08

お金は人の助け合いをつなぐメディア

Watchara Ritjan / Shutterstock.com

コロナで外出が減ったせいか、ほとんど現金を使わなくなった。オンラインショップではクレジットカード決済だし、ポイントで有利だと電子マネーなるものも使っていると、紙幣や硬貨に触れる機会が減ってきた。店でも感染防止のため、現金でのやり取りはトレーに載せて行うようになり、不特定多数の人が手で触るお金は、いまではまるで不潔な困り物扱いだ。

自由な関係にお金は不要


「現金は貧者のクレジットカード」と言ったのは、メディア学者のマクルーハンだが、昔の王侯貴族は、出先で自ら現金で支払いをするような(はしたない)まねはしなかった。権力者や名士は顔パスで店に出入りし、ツケで信用取引というのが当たり前だった。

そうでない一般庶民でも、顔見知りや友人に対してはツケ方式があったが、どこの誰だか知らない相手に対しては、取り立てられる保証はない。いつもニコニコ現金払いという、あと腐れのない現場での決済が当たり前で、そうでない場合にはクレジットカードのように法的根拠のある信用調査が機能していなければ取引は行われない。

貨幣経済前の近代以前の世界では、その場で物々交換が基本。交換できるものが用意できなければ、後日必ず持ってくる旨、証書や約束を書いたその回限りのクレジットとなるものを相手に渡していた。これこそ貨幣の原型で、これによって現場で直接交換という時空の限界を打ち破り、時間が経った違う場所で、というモラトリアムを可能にする優れた発明のおかげで、遠方の会ったこともない不特定多数の人とも取引が可能になった。

逆に言うなら、いつも顔を合わせて知っている相手なら、こうした間接的な手段は必要ない。

現代のアメリカでも、キリスト教の一派であるアーミッシュは、同じコミュニティーの人々の生活の基本は相互の助け合いだ。電気や電話や自動車といった現代文明の便利な道具は人間関係を遠ざけるからと使わない。自然エネルギーや馬車でできる範囲の生活をし、各人の家も村人全員が協力して建てたり修理したりする。専門家が知らない人からお金をもらって請け負うのではなく、お互いがお互いを知って助け合う基本が守られるなら、基本的に貨幣はいらない。

われわれはお金を前提にした資本主義経済にどっぷりと浸かっているせいか、すべてをお金の額に変換して解決しようとするが、同じことを家族や友人に頼むときにはお金で解決はしたくないだろう。親友のために難事を解決してあげたり必要とするものを提供してあげたりしたとき、礼金を支払われるのには抵抗感がある。

もちろんそれらは純粋な無償の好意とは限らず、相手の労力に対してお礼としての何かをしたり、その行為や物に相当する自分で持っている何かを感謝の印としたりすることはあるだろうが、お金がないから助けないとか、金目当てで親しい人と付き合うということはない。そういう関係は明らかに家族や友人の関係と矛盾するように感じるだろう。

英語のフリー (free)という言葉が、「自由」と「タダ」を意味することに違和感を覚えたことはないだろうか? このフリーという言葉は、もともと好みや優しさを、ひいては友情を意味する言葉から派生したとされる。本当に自由に付き合える友人との関係では、お金を前提とせず、どんなことでもタダで助け合うものだ。

自分の社会や世界全員の人々が、もし仮に友人である理想的な環境が実現したとするなら、そこに貨幣を介在させる必要はなくなってはいかないか? 
貨幣は赤の他人との取引を可能にしたきわめて優れた価値のネットワークだが、仮に民族や国を超えて全員が友達である環境ができるとしたら、それは無用の長物になっていくだろう。あくまでも理想論だが、インタ―ネットで世界の人々が完全につながって友達になれば、お金はいらなくなる。
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文=服部 桂

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