タンによればその間、約20ものNPO団体がサービス貿易協定の影響を受ける各ステークホルダーとの討論会を開催、多くの議論を重ねた後、占拠者やデモ参加者の要望に見合う要望書がまとめられて議会に提出され、認められたという。
「占拠は成功しました。単に抵抗するだけではない、多くの人々の意見を取り入れることができた、より良い形でのデモでした」。この運動によって、人々の意識も変わった、とタンは話す。
「以前は、若者にとって政治は政治家のものでした。ひまわり運動の後は、政治的な行動をとったり関心があることは『クール』になりました」。路上の50万人の人々が、サービス貿易協定のような紛糾する議論のコンセンサスに何らかの貢献ができると感じることができた、という。
2014年3月25日、立法院の前に停められたTV局のバンには、デモ隊への歪んだ報道をしている、として、デモ参加者によって、多くの抗議メッセージが貼り付けられている
台湾のシビックテック界にとっても転機だった。タンが参画していたg0vは、12年に旧知のチア・リャン・カオ(高嘉良)が中心となって「政府を『フォーキング』する」と提唱して創設したオープンソース・コミュニティだ。「フォーキング」とはプログラマーの間で使われる、本来のソフトウェアから枝分かれして別のものをつくるプロセスを指す。省庁の約1300すべてのプロジェクトの予算配分、研究計画、KPIがわかりやすく可視化され、同じ分野に興味がある人と話すことができる。
「占拠より前に私たちが構築していたテクノロジーは、せいぜい1万人ほどの人に向けたものでした。しかし、この時は約50万人に向けて行われた。そしてg0vは現在、1000万人の人々が利用している。これは、デジタル界の橋や高速道路といったインフラのようなものです。それまではオープンソース・コミュニティの『提唱者』のようなものだったのが、『公共エンジニア』としての意識に変わりました」
またその変化は、当時の台湾政府にも波及していった。「14年の終わりごろ、多くの政治家や公務員たちが、我々がどういう方法で数百、数千、50万の人々を、分断されていた問題においてひとつのフィーリングにもっていくことができたのかを、本気で学びたがっていました」
当時の馬英九政権のデジタル大臣、ジャクリン・ツァイもそのひとりだった。タンをリバース・メンターとして採用したのだ。台湾政府の12の省では、策定している社会イノベーション行動計画に基づいて、それぞれ2人のリバース・メンターを採用することになっている。多くは35歳以下の社会起業家やイノベーターだという。「それまではストリートにいたのに、それからは占拠した側のオフィスにいることになりました」とタンは話す。
タンによると、ジャクリン・ツァイはその時、ひまわり運動の時のような対話を再現して、例えばクラウドファンディングに関する法改正、非公開株式企業に関する会社法の改正、テレワークといった問題について議論することはできないかと考えていた。これらは彼らが「emerging(新興)トピック」と呼ぶ、新しすぎて未だに権利団体が存在しない問題だ。そして、オードリー・タンと他11人のg0vのボランティアとともに取り組んだのが「vTaiwan」だ。