2年目のシーズンは椎間板ヘルニアを発症し、手術。当然、実戦出場の機会はなく、結果的には1年ほどのリハビリ生活を余儀なくされた。どん底の状態にまで落ちた伊藤だが、前述した“危機感の強さ”が彼を這い上がらせ、次第に自分のポジションを確立。入団から4年、5年ほど経った頃からスタメンマスクを任される機会が増えていった。
「自分のキャリアのターニングポイントのひとつと言えるのは2013年です。一軍の公式戦に100試合以上出場でき、規定打席にも到達し、自己最高の打率を残せた。レギュラー取るために何をすべきかをずっと考え続けてきて、その考えてきたことが初めて結果に繋がったので個人的にはすごく自信になりました」(伊藤)
自分の置かれた立場を俯瞰し、足りないものを身に付けていく。いかに“求められる存在”になれるかは、ビジネスパーソンにおいても重要なことだ。入団から6年、伊藤はそれを愚直に考え続け、行動に移し続けてきた。また捕手というポジション柄か、こんな一言にも伊藤が“求められる存在”になっていったかが分かる。
「僕は投手を盛り立てて、勝ち星をつけるようにする。それが一番求められている結果だと思うので、そこに向けてどう準備するか。それを意識するようになってから、自分も試合に出場でき、周りからの信頼の獲得に繋がっていきました。相手のことを考えて行動することは、結局自分のためでもある。それが結果的にはチームのためにもなるんです」(伊藤)
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「結果」へのこだわりが悪循環に
入団から6年。「レギュラー」というポジションを目指し、“追う側”の立場にいた伊藤だったが、一転して今度は“追われる側”の立場になる。これは企業でもそうだが、常に将来が有望な若手は入ってくる。今度はいつ抜かされるか、という恐怖感と闘うことになる。
「レギュラーを目指しているときは自分の年齢が下で、とにかく上の人を追い越そうと思ってやっていました。そうした中で若手も続々と入ってきて。僕はあまり気にしていなかったのですが、比べられることが増え始めたら、嫌でも気にするようになってしまい、余計に結果を出さなければ、と焦りながら毎日を過ごすようになりました」(伊藤)
キャリアの中で、初めて感じた「焦り」。これが少しずつ悪循環を生み出していく。「どんどんチャンスも少なくなっていることも感じていて、ミスしちゃいけない、打たなきゃいけない、といったように勝手に自分を苦しめていく思考にとらわれてしまっていた」と伊藤は振り返る。
思うような成績が残せないまま、時間だけが過ぎていく。「もう1度、レギュラーを奪い返したい」と強い気持ちで練習に明け暮れる中、伊藤に転機が訪れる。
それがトレードによる、横浜DeNAベイスターズへの移籍だった。
「本当に突然の出来事で“驚いた”の一言でしたね。十数年のキャリアの中でトレードで移籍したり、新しく入ったりする選手は何人も見てきましたが、いざ自分がその立場になった時に『これは結構大変なことなんだな』と思いました。環境が変わって新たなチャンスの機会が来た気持ちもありましたけど、突然だったので正直、最初は気持ちの整理がつかなかったですね」(伊藤)