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2019.03.20 07:00

1998年の歓喜をもう一度、横浜の街に。黄金タッグが再び、手を組んだワケ

創設70年を記念し、歴代のユニフォームデザインをモチーフにした特別ユニフォームを着用する山崎康晃(左)と筒香嘉智(右)

創設70年を記念し、歴代のユニフォームデザインをモチーフにした特別ユニフォームを着用する山崎康晃(左)と筒香嘉智(右)

初のCS(クライマックスシリーズ)進出を経て、日本シリーズにも出場。「今年は20年ぶりのリーグ優勝が期待できる」と多くのファンが思っていたが、結果は4位。3年ぶりにBクラスに沈んだ、横浜DeNAベイスターズ。

チームの成績とは逆にビジネス面は依然、右肩上がりで成長を続けている。昨シーズンは初めて観客動員数200万人を突破した。そして座席数も3500席ほど増やし、迎える2019シーズン。今年は球団創設70周年の年ともあり、横浜DeNAベイスターズ事業本部営業部長の鐡智文(てつともふみ)は「どんなことをすれば、横浜の街を盛り上げることができるのか?」と職員と議論を重ねていた。

一方、時を同じくして、とある課題に悩む企業がいた。マルハ時代を含めると創業から130年以上の歴史を持つマルハニチロだ。冷凍食品、缶詰、ソーセージなど展開してきたが、この10年ほどブランド戦略を置き去りにしてしまった。

その結果、「マルハニチロは何をしている会社ですか?」と聞かれることが増え、認知度も他の食品会社よりも低いものに。家庭用冷凍食品ユニットや家庭用加工食品ユニット、畜産商事ユニットなど11ユニットが存在する会社の実態を消費者が知らない現実がそこにはあった。
 
この状態を改善するには、CMなどの広告に力を入れるなど手段はいくらでもある。だがブランドを知ってもらうためには、まず内側から一体となり、世の中に評価してもらうべきだ、とマルハニチロは考えた。社外コミュニケーションだけでなく、連帯感を高める社内コミュニケーションを重視していく取り組みが今年の3月から始まろうとしていた。
 
そんなタイミングにマルハニチロへ営業に訪れたのが、横浜DeNAベイスターズだった。マルハニチロにとって課題だった社内・社外のコミュニケーションを1度に解決できる取り組みが提案された。それが横浜DeNAベイスターズとマルハニチロの提携だった。

 
2019年にウィング席が新設され、新しくなった横浜スタジアム

横浜DeNAベイスターズの歴史を紐解くと、大洋漁業(現マルハニチロ)が「株式会社まるは球団」を翌年の1949年に設立。球団名を「大洋ホエールズ」とし、プロ野球チームとして歴史をスタートさせた。

そのホエールズは1978年に横浜市へ本拠地移転し「横浜大洋ホエールズ」となり、1993年に「横浜ベイスターズ」となった。そして2002年に53年間球団を所有していたマルハ(現・マルハニチロホールディングス)がその所有権を東京放送(現・東京放送ホールディングス)へに明け渡すこととなった。それから今の「横浜DeNAベイスターズ」へと変貌を遂げたのは、2011年のこと。
 
53年間スポンサーを務めるなど深い歴史を持つ両者が球団創設70周年に再びタッグを組む。横浜DeNAベイスターズ「70th Anniversary Project」のオフィシャルスポンサーにマルハニチロが就任した。プロ野球球団と元の親会社が一緒になる異例の取り組みはどのようにして生まれたのか。プロジェクトの中心に立った、マルハニチロ広報IR部の阿部富寿夫部長、横浜DeNAベイスターズ事業本部営業部長の鐡智文に話を伺った。

17年の時を経て、再び出会った両者
 
阿部:提携のきっかけの1つにはマルハニチロの社内アンケートがありました。社内報の1ページ目に企業ブランディングイベントのアイディアを募集したんです。「何をしたら楽しい?」という質問を社員たちに投げかけてみたら、ブランドショップを短期間借りて、食品会社がよく行なうイベントという仕掛けを挙げたものが一番多くて。水族館とのコラボやプロジェクションマッピング、または職業体験など言いたい放題でした(笑)。

そして2番目に多い答えとして挙がったのが「スポーツ」でした。競技、チームへの協賛の中で横浜DeNAベイスターズを名指しで答えた従業員が多く存在しました。長い期間オーナー企業でもあった事からベイスターズの根強いファンがこの会社には多くいます。
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文=新川諒 写真=小田駿一

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