ビジネス

2020.06.16

「野蛮人」から「紳士」へ 悪名高き投資ファンドの進化

KKR共同創業者 ヘンリー・クラビス(左)とジョージ・ロバーツ(右)


「現在の日本は60~70年代の米国」


老舗のプライベート・エクイティ大手の中で、KKRはいち早く“跡取り”を正式発表した。17年にスコット・ナトール(46歳)とジョセフ・ベイ(47歳)を共同社長に指名し、それぞれに1億2100万ドル分の株式を与えたのだ。ナトールは一般の株主にもおなじみの顔で、KKRが信用市場や資本市場に手を広げる原動力になっている。ベイは中核であるグローバルなバイアウト事業を監督しており、そこには不動産やインフラ産業のみならず、アジアへの大がかりな進出も含まれている。KKRのアジア事業はいまや8つのオフィスと、200億ドル相当の資産を持つまでに拡大した。

クラビスとロバーツはスピードを緩める気配すら見せない。とりわけアジアでの見通しには興奮を募らせている。韓国生まれのベイとニュージーランド生まれのナトールの指揮下、KKRはアジア地域でまったく新たな事業を築きつつあるのだ。

クラビスによれば、日本には収益性の悪い資産をたくさん抱えた安価な複合企業がごろごろしているという。彼は日本の大手商社のCEOに子会社はいくつあるのかと尋ねたときの話をした。相手は2000社だと答えた。クラビスが中核は何社なのかと聞くと、答えはやはり2000社だった。「グラスと話をしたほうがまだしもマシな会話ができただろうが、まあ、仲よくやったさ」と、クラビス。この4月、KKRは東京での年次総会に75名のパートナーを集めた。

「日本には1978年から通っている。私は常に辛苦の末に光明を見出してきた。いまや、それが現実のものとなった」。クラビスが若者のように目をきらめかせてそう語れば、ロバーツもこう付け加える。「現在の日本は60~70年代の米国を思い出させるよ」。

ただし“ナイスガイ”に転じたKKRのコンビは、今回は「ばっさり切って焼き払う」衝動にあらがい、「買収して建て直す」方法を考え出さなければならないだろう。


ヘンリー・クラビス
◎オクラホマ州タルサ出身。カリフォルニア州クレアモント・マッケナ大学卒業後、ニューヨークのマディソン・ファンドでキャリアの第一歩を踏み出す。金持ち趣味でよく目立つクラビスは80年代の批評の標的となった。


ジョージ・ロバーツ◎テキサス州ヒューストン出身。現在はシリコンバレーに拠点を置き、インスタグラムのアクティブなユーザー。頭の固い西海岸のディールメーカーたちを、謎めいた蛍光色のディスプレーで挑発。「1万8000ドル以上は支払うな」。
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文=アントワーヌ・ガラ 写真=佐々木 康 翻訳=町田敦夫 編集=岩坪文子

この記事は 「Forbes JAPAN 4月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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