ビジネス

2020.06.16 19:00

「野蛮人」から「紳士」へ 悪名高き投資ファンドの進化


30年の“ハゲタカ”の変化


1980年代の終盤、ヘンリー・クラビスとジョージ・ロバーツは米ウォールストリートの悪玉として典型化されたが、現在、その称号はお粗末なリターン、短期的トレーディング、悪行の合成薬を世に出す、ヘッジファンドに与えられている。

昔からバイアウトの呪文は「買え、ばらせ、売れ」だった。NYを拠点とするヘッジファンド、アルデン・グローバル・キャピタルはデンバー・ポスト紙をはじめ、経営にあえぐ地方紙のオーナーだが(人員・予算削減で)、新聞報道部と不動産を破壊している。現在、USA Today紙の出版元であるGannett社を虎視眈々と狙い、そのあくどい交渉戦術で告発を受けている。

クレジット・ファンドにおいては怪しげなオペレーターたちがCDS(信用リスクそのものを売買する金融デリバティブ)を採用し、債務不履行による棚ぼたの利益を得るために債務者に支払いを止めてよい、と説得している。これは、隣家の保険を購入し、放火するようなものだ。



Barbarian Evolution──KKRの進化


1951年 小学生のころ、ヒューストン生まれのジョージ・ロバーツはタルサに住む従兄弟、ヘンリー・クラビスを訪ねた。ヘンリーが23針を縫った大喧嘩をしたという。

1962-1967年 2人でクレアモント・マッケナ大学に通う。夏休みにルームシェアをし、ヘンリーはゴールドマンサックス、ジョージはベアー・スターンズのインターン生に。



1966年 ジョージはインターンからそのままベアー・スターンズに就職。ヘンリーは1年後に卒業してNYのマディソン・ファンドに就職し、買収業務を行う。

1969年 ベアー・スターンズのジェローム・コールバーグと手を結び、3人はコールバーグが開拓中であった「ブーツストラップ型買収」を成功させる。



1976年 ベアー・スターンズの伝説的な経営者、サリム・ルイスが新規事業への支援を断ったため、3人は独立し、KKR(Kohlberg Kravis Roberts&Co.)を立ち上げる。

1978年 米フォーブスが新しいタイプの高利益の取引を行っているとして、KKRをカバーストーリーで取り上げる。タイトルは「本当に金持ちになりたいか?」。

1987年 コールバーグは攻撃的なビジネスモデルを嫌い、退場。1年後、KKRは250億ドルでRJRナビスコを買収。強欲ウォールストリート時代の象徴となる。

1989年 ヘンリーとジョージはベストセラー本『野蛮な来訪者―RJRナビスコの陥落』によって批判にさらされ、ワシントンで中傷される。



1993年 フィリップ・モリスがタバコを大幅値下げしたことにより市場シェアを奪われ、RJRナビスコの株価は大幅下落。ヘンリーは再び米フォーブスの表紙に。



1997年 ジョージはベンチャー・フィランソロピーに特化した「ロバート・エンタープライズ・ディベロップメント・ファンド」を立ち上げる。175の社会起業を支援。

2000-2006年 オペレーション・コンサルティングのKKRキャップストーンなど手数料ビジネスを立ち上げる。後に信用事業や証券引受業務に発展する。

2006年 公開株式市場から50億ドルの資金調達。176億ドルのバイアウト・ファンドはダラー・ゼネラルやTXUの買収に使われる。

2010年 NYSEに上場。環境投資、ブルーカラー従業員へのストック・オプションも始める。ヘンリーはコロンビアビジネススクールに1億ドルの寄付。



2017-2018年 ヘンリーとジョージは後継者を指名。企業形態をパートナーシップからコーポレーションに。アジアでの大規模な事業展開を始める。

2019年 KKRの投資先は世界で114社、売り上げは合わせて1230億ドル、75万3000人の従業員に上る。2000億ドルの資産、580億ドルの手元資金を持つ。

文=アントワーヌ・ガラ 写真=佐々木 康 翻訳=町田敦夫 編集=岩坪文子

この記事は 「Forbes JAPAN 4月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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