スウェーデンから長年環境問題について発信している環境ジャーナリストの高見幸子氏に、同じく在スウェーデンのスウェーデン語文学翻訳者でエッセイストの久山葉子氏が話を聞いた。今回はその後編。
前編:肉食を減らせ、さもなくば「次のコロナ」はさらに無敵に
久山:スウェーデンの緩い新型コロナ政策は世界でも注目を集めましたが、当初から「持続可能」な政策であることを強調し、コロナ以外の精神的・肉体的な健康への影響も考えて、長期的に継続可能な内容でした。それでも今年の3月4月の解雇宣告をされた労働者の数はここ30年で最高とか。
高見:今はグローバル経済の時代です。海外の下請会社が止まると生産できなくなるボルボのような自動車メーカー、海外・国内旅行の自粛によってスカンジナビア航空がまず大きく影響を受けましたね。ホテル・レストラン、小売業界をはじめ、スポーツや文化イベントも中止になり、数多くの企業が経済的なダメージを受けています。
今回のパンデミックは、リーマンショックより経済への影響が大きくなると予測され、国から企業への救済支援も膨れ上がる一方。この状況が長期化すると来年には失業率が10%以上になり、コロナ前の経済に戻すために国は膨大な復興支援の予算を検討しなくてはならない状況です。
ただ私は、ここで一度立ち止まり、皆で「ポストコロナ社会がどうあってほしいか」を考えなければいけないと思います。例えば、コロナ危機の間も、気候危機は進行していて、今後は気候変動を避けるための大きな投資が必要です。それなのに、コロナ危機で経済危機に陥った業界を無条件で救うべきでしょうか? 例えば、気候変動の根源である石炭・石油業界が元の状態に戻るように、膨大な額の税金を使って救済をするべきでしょうか。それとも、その業界で働く人たちの生活を保証し、代わりに再生可能なエネルギー産業を起こすことに投資すべきでしょうか。
社会を元に戻すために救済をするとき、コロナ前の社会は正常な社会ではなく、別の意味で危機的な社会だったことを忘れてはいけないと思います。今後復興のために使う投資は、コロナ前の危機をも解決できる対策への投資であるべきなのです。
「家が火事になっている」
久山:前回のインタビューにあった、ジャレド・ダイアモンド教授の「コロナとちがってすぐに死ぬわけではないから、人類の生存がかかっている気候変動という危機になかなか人々が関心を持たない」という言葉が印象に残りました。
高見:確かにそうだと思います。それに、本当に大変な目に遭うのは、今の大人ではなく、将来の世代だから。今の子どもたちには選挙権もなく、決定権もない。それが対策が進まなかったことの原因だとも思います。