弁護人 「どういう気持ちを持ってたかって、いま、分からない?」
西山さん「はい、ちょっと覚えて......忘れました。すみません」
弁護人 「今はどう思ってますか?」
西山さん「Tさん、絶対殺していません」
殺したのか、殺していないのか。裁判所は最後の砦となるはずだった。(Shutterstock)
このやりとりを聞けば、殺したのか、殺していないのか、傍聴席は混乱したかもしれない。その後、出所した西山さんにこの請求書に記載された控訴審での問答を見せて、「どういう意味で『殺した』と言ったのですか?」と聞いたが、読んだ西山さん自身が、「本当だ。殺したって言ってますね。まったく覚えていません」と驚いていた。
法廷という非日常の場面で、被告人という、経験もしたことのない立場で、しかも殺人という疑いをかけられている異常な状況だったことを踏まえれば、支離滅裂になってしまうのは無理もないことなのだ。
郵便不正事件で冤罪被害者にされた、厚生労働省元次官の村木厚子さんでさえ、「初めて証言台に立つときは、本籍をちゃんと言えるかどうかさえ不安だった。裁判官が高い位置にいて、自分はすり鉢の底にいるようで、すごく緊張し、国会答弁より、はるかに難しい」と語っているほどだ。
日本の官僚のトップにいた人でさえ、そうなのだ。法廷だけでなく、密室で問い詰められる取調室でも似たようなことが起きた可能性は十分あった、と考えられた。つまり、心にもないことを、何かが原因で言ってしまい、それを逆手に取られて供述調書に書き込まれた可能性だ。西山さんの場合、その可能性は通常の人より高かったことは、間違いない。
裁判所の判断は何に根ざすのか
紙面化のイメージを頭の中で巡らしていた私に、角記者が言った。「一審の段階から、弁護人は『迎合性が強い』と言っているんですよね」
当然だろう。だが、角記者はこうも付け加えた。「ただ、検察側も迎合性があることは認めて、慎重に配慮して取り調べた、と裁判で主張してます」
結局、一審の判決はどうなったのか。角記者がパソコンのファイルから判決文を開き、関連部分を拡大して見せた。
「警察官による強制や誘導は存在しない」
検察の主張を丸のみする内容に、言葉を失うしかなかった。これほど任意性に問題のある状況証拠がありながら、強制や誘導を「存在しない」とまで言い切る裁判所の判断は何に根ざすのか。
取調官が書いた供述調書こそが真実で、その後の法廷での本人の訴えは、罪を犯した者の言い逃れにすぎない、という決めつけに他ならない。それが、原審から計7回の裁判(原審、第1次再審請求審、第2次再審請求審一審)で繰り返された。警察から最高裁に至るまで「自白偏重主義」が染みついた日本の司法の根深さを、見せつけられる思いだった。
連載:#供述弱者を知る
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