3月中旬、私は滋賀県内で暮らす女性を初めて訪ねた。事件発生当時、看護助手をしていた西山美香さんだ。実は私の祖母も滋賀に住んでおり、西山さんとは直接繋がりはないが、祖母も同じ西山姓だ。少なからず、何らかの縁を感じていた。
「この地域を好きになってください」
とあるショッピングセンターにリュックサックを背負って現れた西山さんは、少し緊張した面持ちで挨拶をするやいなや、「ここの名物です。この和菓子屋さん頑張ってはるんで、ぜひ食べてこの地域を好きになってください」と和菓子の入った紙袋を手渡してくれた。
この事件を通じて多くのマスコミの取材を受けているのに、律儀に手土産まで用意してくれていたことには、私も少し面食らった。また報道を通じて、コミュニケーションが苦手なところがあると思っていたが、お人好しな面が垣間見られる瞬間がいくつもあった。
公判前、女性は「真っ白な無罪判決を」と書かれた横断幕を弁護団とともに持って大津地裁へ入って行った。手前右から3人目
西山さんは無実の罪で12年間服役して出所してから、現在は彦根市内のリサイクル工場で働いている。今でも「(事件当時していた)看護助手に戻りたい気持ちもある」と明かすが、奪われた時間はあまりに長い。
再審が決定してからも、先が見えない不安から何度もすべてを投げ出してしまいたいと思ったという。また、工場で仕事中に刑務所で行なっていた軽作業を思い出し、しんどい時もある。
「自分が言わなかったから、こうなった」
無実の罪で服役してきた12年間という長い年月をどう過ごしてきたのか。獄中から両親に宛てた手紙では、強いストレスや拘禁反応など、辛い日々の心情を綴っていた。だが、私の目の前で西山さんはあっけらかんとこう笑ってしまうのだ。
「その時は『嫌や』『早く出たい』と思っていたけど、あっという間に時間すぎたな。こういう時って怒り心頭させないとあかんですか。でも仕方ないと思うんです。自分が取り調べでちゃんと言わなかったから、こうなった。不幸ではあるんですけど、いま思えばいい思い出ですよ。怒りはないです」