経済・社会

2020.04.12 12:30

冤罪の調査報道の始まりは仰天。「離れたくない」と刑事に抱きついた?|#供述弱者を知る

連載「#供述弱者を知る」サムネイルデザイン=高田尚弥

「私は殺ろしていません(原文ママ)」と獄中から西山美香さん(40)は無実を訴える手紙を両親宛に350通以上出していた。

西山さんが犯人とされた、滋賀県の湖東記念病院(東近江市)で起きた呼吸器事件は2004年7月、滋賀県警の発表で明らかになった。

当時の中日新聞は社会面のトップニュースで「呼吸器外し患者殺害」と白抜きベタ黒の見出しで大きく報じている。隣の脇見出しには「看護助手を逮捕 待遇差『不満晴らした』」。

当時、エジプトのカイロ支局に赴任中だった私は、この事件をまったく記憶していなかった。初めて耳にしたのは、それから12年後の2016年の9月。角雄記記者(37)との打ち合わせで大津支局を訪ねたとき。西山さんはその時点で、満期出所まで残り1年を切っていた。

角記者との打ち合わせは、私が担当している大型記者コラム「ニュースを問う」に出稿してもらうためだった。最初は呼吸器事件のことではなく、別の案件についての打ち合わせだったが、編集方針がうまくまとまらず、どうしようか、となった時にふと角記者が「実は再審を訴えている事件があるんですが、それはどうですかね」と遠慮がちに言い出したのがきっかけだった。

週1回の大型コラムを回しているデスクの私としては、書いてくれるのであれば何でも構わない。「どんな事件なの?」思わず身を乗り出した。当時を振り返るため、私と角記者の会話を再現したい。

記者に問う。「冤罪の可能性はどうか?」


角「湖東記念病院で看護助手が患者の呼吸器を外して殺害した、という事件で、本人が獄中から家族に『殺ろしてません』っていう手紙をずっと出してるんですよ」

秦「その手紙は見たの?」

角「お父さんに見せてもらいました。一貫して無実を訴えている内容です。去年の9月に第二次再審請求の1審で大津地裁に棄却されてしまったんですが、再審開始決定が出たら記事が書けるように、いろいろ準備していたんで材料はあるんですけど、裁判で棄却されたら、記事にはできないですよね」

原審の3回、第一次再審請求審の3回、そして第二次再審請求審の1審も敗訴し、すでに7回の裁判で有罪を宣告された状況だった。そこからの逆転無罪は、かなり難しいだろう。冤罪を晴らす困難さは「ラクダを針の穴に通すようなもの」とも例えられるが、この状況では至難のことだ。

角記者は7回の裁判で敗訴している状況で冤罪の可能性を紙面で訴えるのは無理だと思い、遠慮がちにこの事件の話を切り出したのだが、裁判で有罪を宣告されたからと言って、書けないと決め付ける必要はない、と私は思っていた。

特に、記者コラムという形式であれば、通常のニュース記事のスタイルとは違い、あくまで「記者の見解」として書ける。冤罪の可能性を指摘することは、不可能ではないと思った。

私が知りたかったのは、何よりも記者がどう思っているか。書けるか、書けないかはそれ次第だとも言える。

角記者に「取材した感触として、冤罪の可能性はどうなの?」と聞いた。それに対し、角記者は「冤罪のような気がします」と言った。そこまで言うのは、かなりの心証があるということだ。

私は、彼に話の続きを促した。
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文=秦融

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