上田:それは世界最終戦争の枠組み自体の話ですか(石原莞爾は、「鉄砲」の登場が日本を統一に導いたごとく、武器などの進化によって戦争自体がやがて絶滅、絶対平和が到来して「世界はひとつになる」としている)?
赤川:枠組みですね。結局、石原莞爾の「冷戦の予言」のように、《予定された未来》の環境に収斂していって、最後は抑止力が働き、戦争が止まるといった『キュー』のプロットは、現実は二極だけではなかったですが「GAFA」「BATH(中国企業の4強であるバイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)」という巨大資本連合の表現が生まれ、彼らがすべてを飲み込んでいく最近の流れにリンクするなと。まさにさっきの「小さくやっても潰される」というスタートアップの最近の環境にも置き換えられますよね。
現代は、資本やテクノロジーのレバレッジがそれまで以上に大きく働く時代です。となると、レバレッジがかかる会社ほど「早く呑み込む価値」があるので、スタートアップは巨大資本に取り込まれていく。そして資本の力で世界により早くダイナミックに価値を広げることになる。そういう意味でスタートアップには存在意義があります。逆に一番意味がないのが中途半端な会社。そういう最終戦争的な世界観が自分にはあって、石原莞爾には影響を受けていました。
『キュー』にはこうした現実に沿った流れがあり、しかも「広島」まで出てきて、さらに主要人物として石原莞爾も登場するし、実に運命的だなと思って読んでいました。
上田:『キュー』の中では、石原莞爾が言っていた世界最終戦争をメタファーとして扱っています。
実際のところ武力で衝突しなくとも、フェーズを変えつつも争いは続いているんだと思うんです。武力の衝突がなくなったとしても、経済戦争は続き、そこに技術の磨き合いがかかわってくる。それが今までの歴史の大まかな枠組みじゃないですか。その果てに今はGAFAとBATHとの対峙が国家を超えて浮き上がってきつつある。さらにそこを「脱臼」させていって、決着がつかないようにするのが、世界を終わらせないことになるなというのが『キュー』を書きながら考えていたことです。決着がついてしまえば、大げさな言い方をすると歴史は終わる。だから新たな戦いのルールを永遠につくり続けなければならない。
スタートアップは新しいものをつくる、戦いを脱臼させるというか、フェーズを変えていくという意味ですごく重要だと思います。
赤川:僕は音楽が好きだったなかでも、パンクとか、カウンターカルチャー(主流の慣習に反する進歩的、革新的な文化で、その力が限界以上に達すると、劇的な文化の変化を引き起こす可能性がある)にすごく惹かれていました。
そういう意味でいえば、DeNA時代に「世界最終戦争論」を話していた頃には存在しなかった大きな枠での「カウンター」が、まさにブロックチェーン。分散思想的な概念です。
そして『キュー』の、錐国(人類をひとつの超個体のように捉え、その焦点を模索する)と等国(人類を個体「群」と捉え、個を等しく拡大していく)の話は、まさに「ブロックチェーン的、分散思想的世界観」対「GAFA的、資本集約的世界観」という構造だと思って読みました。
上田:そういう風に、ご自分のやってきたこととか得意領域に転用して読んでいただけたのはとてもうれしい。そこからいろんな解釈が生まれることも僕にはありがたいですね。