映画に詳しい人ならトム・ハンクス主演の「フォレスト・ガンプ」で描かれた、70年代の米中間の「ピンポン外交」の逸話を覚えているだろう。第2次世界大戦後の1949年に中華人民共和国が誕生して以来、米国と中国は国交を閉ざしていたが、その雪解けの契機となったのが、71年に日本の名古屋で開催された卓球の世界選手権大会だった。
この大会で中国と米国選手の対戦が実現したことで、翌年には米国選手が中国を訪問し、ニクソン大統領の訪中が実現。日中の国交正常化にもつながった。
そのピンポン外交の舞台裏に居たのが、選手生活を引退後も世界を飛び回り「ピンポン外交官」の異名をとった荻村だった。彼は60年代前半に中国の周恩来首相から直接、卓球の指導を頼まれた経歴を持っていた。そんな荻村の働きかけを受け、世界から孤立していた中国が世界選手権に参加したのだった。
「1932年生まれの荻村は、戦後の混乱期の貧しい暮らしの中で技術を磨き、世界的プレイヤーとして活躍した。彼は、小さなピンポン球のラリーが国家の間の壁を飛び越え、世界をつないでいくことを体感した。そして、引退後もその熱意を忘れなかった。そんな荻村の精神を現代に伝えるスニーカーを復刻したいと思った」
そう話すのは、ドイツのベルリン在住の起業家フィリップ・エガースグリュースとマックス・ファン・ラークの二人組だ。彼らは60年代に荻村が世に送り出した卓球シューズを現代によみがえらせようとしている。
国家の分断を超えるスポーツの力
「僕たちがやろうとしているのは、単純に靴を売るビジネスではなく、彼の理念を伝えるブランドを世界に送り出すことだ。荻村は94年に62歳で亡くなる直前まで、韓国と北朝鮮の統一卓球チームを実現させるなどの努力を続けていた。スポーツが国家の分断を超えていくというストーリーは、戦後のイデオロギーの対立で東西に引き裂かれた過去を持つベルリンの人々の心にも響くはずだ」
1971年4月発行の米「タイム」誌の表紙には、同年に中国を訪問した米国の卓球選手団らが北京の万里の長城で撮影した集合写真が掲載されている。その足元を飾る白いスニーカーこそが、彼らが今再び世に送り出そうとする伝説の卓球シューズ「シャープマン」だ。
当時、日本の卓球専門誌に掲載された広告には「世界選手権に連続使用、この輝かしい実績!」「日本の誇るコーヨーベアーの卓球シューズ、シャープマン」という文言で、この靴が告知されていた。製造元は神戸の靴メーカー「光洋産業」だった。